[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]216W 82rpm 141bpm
前日に引き続きL3で。
ケイデンスを落としたら、前日より高めの出力になった。
2017年3月31日金曜日
2017年3月30日木曜日
L3 20分走 400kJ
[天気]晴れ
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 206W 82rpm 142bpm
水曜日は諸事情で乗らず。(朝練を試みたが。。。)
疲労感が有り、エアロビックな強度で20min。
そろそろ朝練(外練)という感じですね。
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 206W 82rpm 142bpm
水曜日は諸事情で乗らず。(朝練を試みたが。。。)
疲労感が有り、エアロビックな強度で20min。
そろそろ朝練(外練)という感じですね。
2017年3月28日火曜日
20分走 500kJ 今宵も
[天気]晴れ
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 287W 87rpm 172bpm/185bpm
こんばんは。
一度はじめるとしつこいです。
LT1走のつもりだったのですが、ウォームアップ後LAPを切ってみたらなにか物足りずLT2走になりました。
ケイデンスを低めにするとワットが乗ったので80台で。
80台だとすごくゆっくりな感じがします。まるで脚がとまっているように。
徐々にケイデンス上がる→負荷を上げるを繰り返して300W付近まで。
いつのまにか好調期に入ったのでしょうか。
なら2本やれよ。
おやすみなさい。
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 287W 87rpm 172bpm/185bpm
こんばんは。
一度はじめるとしつこいです。
LT1走のつもりだったのですが、ウォームアップ後LAPを切ってみたらなにか物足りずLT2走になりました。
ケイデンスを低めにするとワットが乗ったので80台で。
80台だとすごくゆっくりな感じがします。まるで脚がとまっているように。
徐々にケイデンス上がる→負荷を上げるを繰り返して300W付近まで。
いつのまにか好調期に入ったのでしょうか。
なら2本やれよ。
おやすみなさい。
2017年3月27日月曜日
20分走 500kJ 耐える
[天気]雨
[気温]寒い
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 276W 87rpm 168/179bpm
開始から脚が重く、駄目ならすぐにやめようという心持ちでスタート。
2分で脚がパンパン。耐える、
5分、とにかく耐える。なかなか心拍数が上がらない。
10分経過でスーッと心拍数が上がり、それにともないワットが上がる。
が、苦しいのは変わりない。
ワットと心拍が徐々に上がっていって最後は300Wをつけて終了。
その後、ケイデンス最高速チャレンジしたところ、チェーンが暴れて後輪が脱輪?
落車寸前で事なきを得る。
ローラー後部の壁に(念のため)立てかけてある板に、「眼」が生えました。まる。
[気温]寒い
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 276W 87rpm 168/179bpm
開始から脚が重く、駄目ならすぐにやめようという心持ちでスタート。
2分で脚がパンパン。耐える、
5分、とにかく耐える。なかなか心拍数が上がらない。
10分経過でスーッと心拍数が上がり、それにともないワットが上がる。
が、苦しいのは変わりない。
ワットと心拍が徐々に上がっていって最後は300Wをつけて終了。
その後、ケイデンス最高速チャレンジしたところ、チェーンが暴れて後輪が脱輪?
落車寸前で事なきを得る。
ローラー後部の壁に(念のため)立てかけてある板に、「眼」が生えました。まる。
2017年3月26日日曜日
泉ヶ岳 1200kJ
[天気]曇り
[気温]下7℃
[アクティビティ]泉ヶ岳
昨日の疲れも有り、起きて雨が降っていたら乗らない、と思っていたが降っていなかったので軽く乗ることに。
ボリューム増量作戦中です。
しかし寒いな。
[気温]下7℃
[アクティビティ]泉ヶ岳
昨日の疲れも有り、起きて雨が降っていたら乗らない、と思っていたが降っていなかったので軽く乗ることに。
ボリューム増量作戦中です。
しかし寒いな。
2017年3月25日土曜日
美味いものを食べたいならば予約が必要 3100kJ
[天気]晴れ
[気温]最高9℃くらい
[アクティビティ]色麻→宮崎→岩出山→鳴子
この間行った「風のアトリエ」さんにかっちゃんとカレーを食べに行きました。
こちらは予約が必要。
[閑話]
おそらく人数的な問題ではなく、食材を余さないという観点からだと思います。
全ての(こだわりのある)料理店は予約制を望んでいるのではないかと思います。
それは結局ユーザーのためにもなる。
自分は予約という行為は、時間的なプレッシャーがめんどくさくて、ほとんどしないのですが。。
[閑話]
さて、まずは馬場温泉を目指します。
そろそろライド中に温泉入っても大丈夫な季節なので。
(ライドwith温泉はかなり少数派らしいが)
内湯が改装工事中という思わぬハプニングで、必然的に外湯へ。
鳴子にいたる山道は寒くて、まだ路上に雪がありました。
脚もしびれた。
そこに、熱い温泉。地獄です。
なんとか痛みを我慢すれば、その後は天国。
相変わらず石油?臭くて独特なお湯。癖になります。
この日も我々の後にお客さんがいて、根強いファンがいるようです。
寒さと暖かさが入り交じったような空を走って、お店まで。
店主がコーヒー豆を煎りながら待っててくれました。
どうやら全てこの辺で取れたものらしい。香味料もそうなのかは訊くのを忘れました。
カレーは語れるほど知らないんでコメントは避けますが、とても手の込んだものということがわかります。
上記にシフォンケーキとコーヒーがついて1500円。安い。。。
[気温]最高9℃くらい
[アクティビティ]色麻→宮崎→岩出山→鳴子
この間行った「風のアトリエ」さんにかっちゃんとカレーを食べに行きました。
こちらは予約が必要。
[閑話]
おそらく人数的な問題ではなく、食材を余さないという観点からだと思います。
全ての(こだわりのある)料理店は予約制を望んでいるのではないかと思います。
それは結局ユーザーのためにもなる。
自分は予約という行為は、時間的なプレッシャーがめんどくさくて、ほとんどしないのですが。。
[閑話]
さて、まずは馬場温泉を目指します。
そろそろライド中に温泉入っても大丈夫な季節なので。
(ライドwith温泉はかなり少数派らしいが)
内湯が改装工事中という思わぬハプニングで、必然的に外湯へ。
鳴子にいたる山道は寒くて、まだ路上に雪がありました。
脚もしびれた。
そこに、熱い温泉。地獄です。
国道のすぐ脇にこの外湯があるんですよ |
なんとか痛みを我慢すれば、その後は天国。
相変わらず石油?臭くて独特なお湯。癖になります。
この日も我々の後にお客さんがいて、根強いファンがいるようです。
寒さと暖かさが入り交じったような空を走って、お店まで。
こんな感じ |
どうやら全てこの辺で取れたものらしい。香味料もそうなのかは訊くのを忘れました。
もちろん美味い |
上記にシフォンケーキとコーヒーがついて1500円。安い。。。
この店自体が趣味なのかな?
玉ねぎがまるごと一個と仙台牛のスネ肉が入ったスープもとても美味しかったです。
ほとんど塩が入ってなかった(と思われる。)
あと、(時期的に終わりが近づいている)あじまん食べて帰りました。
あじまんは手が込んでいるとはいえないのではあるが、これはこれで美味い。
2017年3月23日木曜日
L4 20分走 600kJ
[天気]晴れ
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 280W 89rpm 170bpm(Max 183bpm)
昨日はレスト。
レスト明けなので、目標は260Wくらいかなーとあまり期待しないでスタート。
少しずつ上っていってきっちり吹けあがりました。
LT領域に体が慣れてきた感がある。
GCおよびWKO4のCPだのmFTPが軒並み上昇中。
4月後半のレースまでは首まで疲労に浸る予定。
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 280W 89rpm 170bpm(Max 183bpm)
昨日はレスト。
レスト明けなので、目標は260Wくらいかなーとあまり期待しないでスタート。
少しずつ上っていってきっちり吹けあがりました。
LT領域に体が慣れてきた感がある。
GCおよびWKO4のCPだのmFTPが軒並み上昇中。
4月後半のレースまでは首まで疲労に浸る予定。
2017年3月21日火曜日
L4 20分走 500kJ
[天気]雨
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 277W 92rpm 174bpm(Max 185bpm)
やはり少し距離乗ると調子がよくなる。
雨ということを鑑みていい数字。
LTに体が慣れてきた感じもある。体重があと1kg減ったらタイムを測ろう。
ちなみに昨日90km走ってからのスプリント1103W。(ミラノサンレモに影響をうけてやってみた)
なぜかスプリントの数字がここのところ良い。1000Wを下回ることはないと思う。
実はコツをつかんだ感あり。
スプリントでは(でも)大切なのは脚を上げる意識。踏むのは意識しなくても脚があがっていれば自然とできる。
外国のスプリンターの映像をみるとゴリゴリ踏んでいるように見えるが、結果としてそう見える、といいうよくある現象なのではないか。
もしかしたらもっと奥が深いことをやっているのかもしれないが、私には知る由もない。
まあ私にはスプリントで勝負がつくようなレース展開はないだろうけど。
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 277W 92rpm 174bpm(Max 185bpm)
やはり少し距離乗ると調子がよくなる。
雨ということを鑑みていい数字。
LTに体が慣れてきた感じもある。体重があと1kg減ったらタイムを測ろう。
ちなみに昨日90km走ってからのスプリント1103W。(ミラノサンレモに影響をうけてやってみた)
なぜかスプリントの数字がここのところ良い。1000Wを下回ることはないと思う。
実はコツをつかんだ感あり。
スプリントでは(でも)大切なのは脚を上げる意識。踏むのは意識しなくても脚があがっていれば自然とできる。
外国のスプリンターの映像をみるとゴリゴリ踏んでいるように見えるが、結果としてそう見える、といいうよくある現象なのではないか。
もしかしたらもっと奥が深いことをやっているのかもしれないが、私には知る由もない。
まあ私にはスプリントで勝負がつくようなレース展開はないだろうけど。
2017年3月20日月曜日
無補給 de 100km 1700kJ
[天気]晴れ
[気温]14℃
[体重]65kg
[アクティビティ]落合→秋保→川崎→村田(実際は90kmでした)
昼からスタート。
金土日とたくさん食べたので、できるだけ休憩/補給なしで行こうと決める。
とくにダイエットのためとかではなく。
ちなみに自分はダイエットを意識して自転車に乗ることはないです。
つまらなくなるので。
なかなか進まない感あり。
どうも乗れてないなーみたいな。
「やっとここか」の連続。
秋保で13℃、折立で14℃という暖かさ。真夏日じゃねーか。
お腹はすかないけど、喉が乾く。ボトルもなし。
というか冬はペットボトル用のケージをつけているので、買えば飲めるんだけど、止まるのが面倒なので買わなかった。
ただただ走る。忘我の境に至る。
3:30ほど走って終了。
ガツガツ行かなければやれるもんだ。
休憩は下の写真をとった30秒程のみ。
しかし家についたらやけに疲労を感じたのも事実。
もう少し距離を乗らねば。
あ、そうそう花粉症対策で終始マスクをつけておりますので、マスクと言えば、
となります。
[気温]14℃
[体重]65kg
[アクティビティ]落合→秋保→川崎→村田(実際は90kmでした)
昼からスタート。
金土日とたくさん食べたので、できるだけ休憩/補給なしで行こうと決める。
とくにダイエットのためとかではなく。
ちなみに自分はダイエットを意識して自転車に乗ることはないです。
つまらなくなるので。
なかなか進まない感あり。
どうも乗れてないなーみたいな。
「やっとここか」の連続。
秋保で13℃、折立で14℃という暖かさ。真夏日じゃねーか。
お腹はすかないけど、喉が乾く。ボトルもなし。
というか冬はペットボトル用のケージをつけているので、買えば飲めるんだけど、止まるのが面倒なので買わなかった。
ただただ走る。忘我の境に至る。
3:30ほど走って終了。
ガツガツ行かなければやれるもんだ。
休憩は下の写真をとった30秒程のみ。
もう少し距離を乗らねば。
あ、そうそう花粉症対策で終始マスクをつけておりますので、マスクと言えば、
変態さんリスペクトアングル |
2017年3月19日日曜日
泉ヶ岳 1170kJ
[天気]晴れ
[気温]下10℃
[風]-4
[体重]65kg
[アクティビティ]泉ヶ岳(トンネル前まで)2本
[メニュー1]N/A
[メニュー2]N/A
金土と種々の用事で乗らず。
最近、時間がない、を理由にしている感あり。
土曜はお彼岸で墓参りの間をぬって泉ヶ岳へ。
とにかく2本登ろうというだけの内容。
どうもパワーの蛇口をうまくコントロールできない。
希望的観測で「このくらいなら行けるべ」が少しオーバーペースになっていてドスンとくる。
ギリギリを出し続ける、これがヒルクライムの唯一のコツである。
明日はまったり走りましょうか。
[気温]下10℃
[風]-4
[体重]65kg
[アクティビティ]泉ヶ岳(トンネル前まで)2本
[メニュー1]N/A
[メニュー2]N/A
金土と種々の用事で乗らず。
最近、時間がない、を理由にしている感あり。
土曜はお彼岸で墓参りの間をぬって泉ヶ岳へ。
とにかく2本登ろうというだけの内容。
どうもパワーの蛇口をうまくコントロールできない。
希望的観測で「このくらいなら行けるべ」が少しオーバーペースになっていてドスンとくる。
ギリギリを出し続ける、これがヒルクライムの唯一のコツである。
明日はまったり走りましょうか。
2017年3月16日木曜日
20分走 500kJ next 5 minutes
[天気]晴れ
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 266W 92rpm 170bpm(Max 180bpm)
昨日は業務多忙につき死亡。
本日も時間がなく1本こっきり。
レストあけのLTでいい思いをしたこと無いな。
今回ものっけからキツくて5分でやめようと思った。
あと5分、あと5分をなんとか繋いで完遂。
こういうのはトレーニングとしてはいまいちなやりかたと思う。
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 266W 92rpm 170bpm(Max 180bpm)
昨日は業務多忙につき死亡。
本日も時間がなく1本こっきり。
レストあけのLTでいい思いをしたこと無いな。
今回ものっけからキツくて5分でやめようと思った。
あと5分、あと5分をなんとか繋いで完遂。
こういうのはトレーニングとしてはいまいちなやりかたと思う。
2017年3月14日火曜日
20分走 × 2 830kJ 王道練
[天気]雨
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 266W 90rpm 169bpm(Max179bpm)
[メニュー2]20min 267W 92rpm 176bpm(Max185bpm)
いわばパワトレの王道20min × 2。前回いつやったか覚えてないくらいに久しぶり。
260W以上で2本揃えるのを目標にしてスタート。
レストは10min。
2本目やるかどうか相当悩みましたが、うまくいきました。
2本目のほうがきついはずなのに、短く感じる不思議。
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 266W 90rpm 169bpm(Max179bpm)
[メニュー2]20min 267W 92rpm 176bpm(Max185bpm)
いわばパワトレの王道20min × 2。前回いつやったか覚えてないくらいに久しぶり。
260W以上で2本揃えるのを目標にしてスタート。
レストは10min。
2本目やるかどうか相当悩みましたが、うまくいきました。
2本目のほうがきついはずなのに、短く感じる不思議。
2017年3月13日月曜日
30分走 500kJ 新環境運用開始
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]30min 196W 86rpm 142bpm
ローラー新環境でワークアウト開始。
サドルがイマイチで30分で終了。
あとタイヤがキュッキュッキュッキュうるさい。
TTバイクも組まないとなぁ。
[メニュー1]30min 196W 86rpm 142bpm
ローラー新環境でワークアウト開始。
サドルがイマイチで30分で終了。
あとタイヤがキュッキュッキュッキュうるさい。
TTバイクも組まないとなぁ。
2017年3月12日日曜日
泉ヶ岳 1150kJ
[天気]晴れ
[気温]下7℃
[風]-4
[体重]65kg
[アクティビティ]泉ヶ岳(トンネルまで
[メニュー1]20min 275W 86rpm 170bpm
土曜は乗らずにいろいろあり。
本日はロングと思っていたが、寒いのでショート。
マイ峠の泉ヶ岳へ。
いよいよ上る時期。
前回上った時はとてつもなくしんどかったので、今回も覚悟していく。
LAPはきらず。
ところが、意外にかかる。上れる。
おー、とめいいっぱいがんばって20min。最初に力を抜いていたので、実際は300W巡航であった。
体重が2kg減ったのがよかったのか。体重にも閾値があるのは以前から感じていた。
まあ、まだまだ重いけど。
ところでStagesでもワットの"乗り"がいい。左右差が是正されたのかなぁ。
とにかく自信になった。
[気温]下7℃
[風]-4
[体重]65kg
[アクティビティ]泉ヶ岳(トンネルまで
[メニュー1]20min 275W 86rpm 170bpm
土曜は乗らずにいろいろあり。
本日はロングと思っていたが、寒いのでショート。
マイ峠の泉ヶ岳へ。
いよいよ上る時期。
前回上った時はとてつもなくしんどかったので、今回も覚悟していく。
LAPはきらず。
ところが、意外にかかる。上れる。
おー、とめいいっぱいがんばって20min。最初に力を抜いていたので、実際は300W巡航であった。
体重が2kg減ったのがよかったのか。体重にも閾値があるのは以前から感じていた。
まあ、まだまだ重いけど。
とにかく自信になった。
2017年3月11日土曜日
3.11
[天気]晴れ寒い
長いし、自転車のことは書いておりません。
毎年この日になると、書こう書こうと思っていたことを書こうと思います。
たぶん忘れないと思うのですが、忘れないように。
私は、2011年3月11に津波をこの目で見ました。だからと言って自分のことを被災者だと思ったことは一度もありません。「被災地にいた人」という定義がよいのではないかと思います。
被災者とは、自分や親しい人が命を落としたり、家を失った人、と定義しています。
当時私は多賀城にある工場に仕事で常勤しておりました。
TV局のリポーターがタクシーでギリギリ逃げ込んだ場所といえばわかる方もいるかと思います。
その週、担当していたプロジェクトの進捗が悪く、どうにも納期に間に合いそうもない感じだったので、仕事仲間と「なんか天変地異でも起きてくれないかな」などと言っていたことを思い出します。
また、あの日の前(一週間ぐらい前?)に大きな地震があったのも覚えています。
そして当日。
大きく長い横揺れ。ビルの5階にいたのですが、あまりにも経験したことのない揺れだったので「ビルが破断するのではないか?」と怖かったです。
私は小学生の時に宮城県沖地震を経験しているので、地震の恐ろしさは知っていました。
先の大地震では、建物崩壊により多数の方が亡くなりました。特にブロック塀の下敷きになった子供が多かった。
だからまず建物が壊れる恐怖が頭に浮かびました。
すぐに避難行動に入りました。
「この場所に戻ってくることがもうない、あるいはだいぶ先になるのでは?」という予見がして、コートを着てカバンを持ちました。避難時の行動としてはNGですが、自分なりの判断です。状況的に時間的な余裕もだいぶありました。
建物を出て近くの公園にたどり着いたときにホッとしました。これでOK。おそらく危険なので建物には戻らず、ここで解散になるのではないかと考えながら時を過ごしました。
しかし、なかなか次の行動指示が出ません。
どういう状況なのか。なぜこんなに待つのか。
あの日は今日と同じく寒くて、小雪がまっていたので、早く開放してほしいと思っていました。
しばらくすると「ビルに戻ります」という指示。
「???、なんで!」と不思議に思いました。危ないだろう?
どうも、元いたビルではなく比較的新しい別のビルに行くようです。
そしてビルの二階で待機、とのこと。
「いったい"何に対して"待機してるんだろう?」と思いました。
それからだいぶたってから「もう一階うえに上がります」という声。
「???」
避難係の人に「なんでうえに上がるんですか?」と訊いたら、小さな声で「水が来てるんです…」という答え。
「水?」と聞き返すと、彼はただうなずきました。
この段階で状況を把握している人は、情報を伝搬されたごく少数の避難係の人ぐらいでした。(グループ全体の人数は50人くらいか)
まわりの人はあまり疑問もないのか、ただ指示に従ってました。
水ってなんだ?と思って(私は少し背が高いので)高いところにある窓から外を見てみました。
次の瞬間、人生で初めて「言葉がでない」という身体的状況になりました。
津波が構内に入ってきていて、車やら看板やら、なにやらかにやらがどんどん流されています。
津波は映画で見るように、ザバーンとやってくるのではありません。
建物の中からだったから、音もありませんでした。圧倒的な水量で、もりもりなだれ込んですべてを飲み込んでいきます。いわば海そのものが移動してくるのです。
そして飲み込まれたところは、瞬時に海底になるのです。
自分の頬をつねりました。
これは夢だよな、と。
そして意識するもなく「あー」っとアホっぽい声を出してました。
「どうしたの?」と職場のTさんに訊かれて、「つなみぃー」と窓を指差しました。今思いかえすとアホの子そのもの。
周りの人は「またー、もけけさん、ふざけて嘘ばっかー」と言ってました(日頃の行いか…)が、私は「ホントなんだよ」というのが精一杯でした。まあ私がムキなって説明する必要はない。
いずれみんなしる。
ここまで書いてきて、私も含めて誰も津波がくるなんて思っていなかったことが、あらためてはっきりします。
私のいたところは、海から1km離れていて、こんなところに津波がくることなんて普通の頭で考えたらありえないことでした。あの日より前に「ここに津波が来るぞ!」なんて言っている人がいたら狂人扱いされたことでしょう。
あの日、真面目に避難計画を実行していただいた係の方々に、この場を借りてお礼を言いたいです。
彼らが間違った判断をしていたら、私を含め1500人が死んでしまってもおかしくなかった。
水かさが増してきているということで、その後、五階まで登った。
その建家は、普段は使われていないところだったので、電線がむき出し、コンピューターモニターがそこら辺に転がっていたりして、「これ映画の中の出来事では?」感がすごいことになってました。
何回か津波のまさに波状攻撃があり、これは長丁場になりそうという雰囲気が漂う。
夜になり、まだ水が引かないという情報が入ってきて、これは閉じ込められたのかということを認めざるを得なかった。
非常用ラジオがあったので、みんなで聴いた。
もちろん明かりはなく、食べるものもない。そして寒い、床が硬く冷たい。
ただ、自転車乗りなので自分の体力とエネルギーの関係計算をできるのは非常に役立った。
じっとしていよう。
携帯の電源も切った。使う必要があるときにだけ使おう。今はどうせつながらない。
横になっていると、いびきの合唱が聞こえる。寝れる人が羨ましかった。
起きている人もいたので、少し言葉を交わした。できるだけくだらない話をした。こんな時に厳しい話をしたって、糞の役にも立たない。非常時には、無駄話が無駄ではないことを学んだ。
夜遅くになって、ラジオが「あらはまに、にひゃくたいほどしたいがあがっている」と言う。
言葉は理解できたが、なんの話なのかしばらく理解できなかった。
したいがあがっている。
外から「たすけてくれー」という声が聞こえてくる。
車の上に人が乗って、助けをもとめているということだった。骨折して動けないとのこと。
何人かが声を掛けたり、救出方法を考えたりしていた。
自衛隊がきて救助された。安堵した。本当によかった。
部屋には、避難してきた付近の住民のかたもいて、犬も一緒にいた。よかった。
ほんとうによかった。
夜が明けて、みんなで外をみた。とんでもない光景だった。いたるところ、泥と車だらけだった。
「あーあれ俺のくるまー」と言っている人がいる。
自分の車はどうかなと思った。ここよりは海からはなれたところに置いてあるから、もしかして大丈夫かも。
構内は道路より少し低くできていて、水が引かないので、外にでることができない。
筏のようなもので脱出する、という当初計画が発表される。
一人あたり10分程かかる模様。1500人いるのでえーっと?
なんとか他の脱出方法を見出してもらったようで、階段を降りて、室内に入ってきた車などの上をよじ登ったり、水に脚をつけたり(とても冷たかった)してなんとか構外に出た。ちょっとしたサバイバルだった。
周りの人は、脚が濡れないようにビニールをかぶせたりしていた。
出れたのはいいが、ここからどうやって帰るのかという課題が現れた。
家まで20kmある。
選択肢はなかった。歩いて帰る以外に。
同じ方向の人がグループになって、歩き始める。
「なにか恐いものを見ても、ひるまずに歩くんだよ」と周りの人に(その実自分に向かって)言ったのを覚えている。
濡れたソックスを脱いで、直に革靴を履いてあるいたので靴擦れで血が出てきた。
しばらく歩き、津波が到達しなかった地域に入る。
そこは全く別の国のように見えた。
膝下がドロドロな私達をみて(ビニールを脚に被せたり、血を出したりしてたし)小さな声で「わー」っと言っていた。
喉がかわいたので自販機で何か買おうと思ったけど、どれも電気がついてなかった。不便だなーと思ったけど、この後もっと不便で大変なことが山ほど押し寄せてくることを、私はまだ知らなかった。
利府、岩切を過ぎて、行動をともにしていた人たちと一人づつ別れていく。
一人になって、岩切・泉間の田んぼの中を走る真っ直ぐな道路を歩く。この道路が一番ひどくやられていた。電信柱が大きく左右に傾いている。道路もうねっているのか、歩いていると目が回る。
田んぼの上に建築物を立ててはいけない。
正直、歩くのが辛い。24時間以上水すらも口にしていない。
「もけけさーん」と声を掛けられる。
あれだ、幻聴だ、知ってるよ、と思って声の方に振り返ると、同じフロアにいたWさんだった。
タクシーに乗っている。なんてこった。他に選択肢あったんかい。
一緒に乗せてもらった。あっという間に家についた。
家に入ってみると、自転車が1台倒れているだけの被害状況だった。
「ここも別の国だな」と思った。
その後もいろいろ興味深いことがあって、こっちのほうが書きたいことなんだけど、それは別の機会に。
最後に、震災はたくさんのものを奪いました。
しかし「ひどいことがあった」後、それをはね返し繁栄を築いた実例が歴史的、世界的にもたくさんあります。日本の戦後などは、その最たる例です。
「希望」の意味と効能をより濃く理解する人々が、多くなるからだと思います。
私は震災を経験し、東北の地で育った子どもたちの中から、強くて優しい日本のリーダーが出てくるのではないか、と確信に近い予感をもっています。
大人たちのくだらない議論に付き合うことなく、しっかり成長してほしいと願っております。
私も、その人(達)の邪魔にならないように、生きていきたいと思っております。
私が(バッテリーが切れそうな)携帯でとった写真を載せてます。
私が知っている、ほかでもない日本で、6年前に起きたことです。
震災で亡くなられたかた、大事な人を亡くしたかた、まだ避難生活を送っているかたに心よりお悔やみ、お見舞申し上げます。
長いし、自転車のことは書いておりません。
毎年この日になると、書こう書こうと思っていたことを書こうと思います。
たぶん忘れないと思うのですが、忘れないように。
私は、2011年3月11に津波をこの目で見ました。だからと言って自分のことを被災者だと思ったことは一度もありません。「被災地にいた人」という定義がよいのではないかと思います。
被災者とは、自分や親しい人が命を落としたり、家を失った人、と定義しています。
当時私は多賀城にある工場に仕事で常勤しておりました。
TV局のリポーターがタクシーでギリギリ逃げ込んだ場所といえばわかる方もいるかと思います。
その週、担当していたプロジェクトの進捗が悪く、どうにも納期に間に合いそうもない感じだったので、仕事仲間と「なんか天変地異でも起きてくれないかな」などと言っていたことを思い出します。
また、あの日の前(一週間ぐらい前?)に大きな地震があったのも覚えています。
そして当日。
大きく長い横揺れ。ビルの5階にいたのですが、あまりにも経験したことのない揺れだったので「ビルが破断するのではないか?」と怖かったです。
私は小学生の時に宮城県沖地震を経験しているので、地震の恐ろしさは知っていました。
先の大地震では、建物崩壊により多数の方が亡くなりました。特にブロック塀の下敷きになった子供が多かった。
だからまず建物が壊れる恐怖が頭に浮かびました。
すぐに避難行動に入りました。
「この場所に戻ってくることがもうない、あるいはだいぶ先になるのでは?」という予見がして、コートを着てカバンを持ちました。避難時の行動としてはNGですが、自分なりの判断です。状況的に時間的な余裕もだいぶありました。
建物を出て近くの公園にたどり着いたときにホッとしました。これでOK。おそらく危険なので建物には戻らず、ここで解散になるのではないかと考えながら時を過ごしました。
しかし、なかなか次の行動指示が出ません。
どういう状況なのか。なぜこんなに待つのか。
あの日は今日と同じく寒くて、小雪がまっていたので、早く開放してほしいと思っていました。
しばらくすると「ビルに戻ります」という指示。
「???、なんで!」と不思議に思いました。危ないだろう?
どうも、元いたビルではなく比較的新しい別のビルに行くようです。
そしてビルの二階で待機、とのこと。
「いったい"何に対して"待機してるんだろう?」と思いました。
それからだいぶたってから「もう一階うえに上がります」という声。
「???」
避難係の人に「なんでうえに上がるんですか?」と訊いたら、小さな声で「水が来てるんです…」という答え。
「水?」と聞き返すと、彼はただうなずきました。
この段階で状況を把握している人は、情報を伝搬されたごく少数の避難係の人ぐらいでした。(グループ全体の人数は50人くらいか)
まわりの人はあまり疑問もないのか、ただ指示に従ってました。
水ってなんだ?と思って(私は少し背が高いので)高いところにある窓から外を見てみました。
次の瞬間、人生で初めて「言葉がでない」という身体的状況になりました。
津波が構内に入ってきていて、車やら看板やら、なにやらかにやらがどんどん流されています。
津波は映画で見るように、ザバーンとやってくるのではありません。
建物の中からだったから、音もありませんでした。圧倒的な水量で、もりもりなだれ込んですべてを飲み込んでいきます。いわば海そのものが移動してくるのです。
そして飲み込まれたところは、瞬時に海底になるのです。
自分の頬をつねりました。
これは夢だよな、と。
そして意識するもなく「あー」っとアホっぽい声を出してました。
「どうしたの?」と職場のTさんに訊かれて、「つなみぃー」と窓を指差しました。今思いかえすとアホの子そのもの。
周りの人は「またー、もけけさん、ふざけて嘘ばっかー」と言ってました(日頃の行いか…)が、私は「ホントなんだよ」というのが精一杯でした。まあ私がムキなって説明する必要はない。
いずれみんなしる。
ここまで書いてきて、私も含めて誰も津波がくるなんて思っていなかったことが、あらためてはっきりします。
私のいたところは、海から1km離れていて、こんなところに津波がくることなんて普通の頭で考えたらありえないことでした。あの日より前に「ここに津波が来るぞ!」なんて言っている人がいたら狂人扱いされたことでしょう。
あの日、真面目に避難計画を実行していただいた係の方々に、この場を借りてお礼を言いたいです。
彼らが間違った判断をしていたら、私を含め1500人が死んでしまってもおかしくなかった。
水かさが増してきているということで、その後、五階まで登った。
その建家は、普段は使われていないところだったので、電線がむき出し、コンピューターモニターがそこら辺に転がっていたりして、「これ映画の中の出来事では?」感がすごいことになってました。
何回か津波のまさに波状攻撃があり、これは長丁場になりそうという雰囲気が漂う。
夜になり、まだ水が引かないという情報が入ってきて、これは閉じ込められたのかということを認めざるを得なかった。
非常用ラジオがあったので、みんなで聴いた。
もちろん明かりはなく、食べるものもない。そして寒い、床が硬く冷たい。
ただ、自転車乗りなので自分の体力とエネルギーの関係計算をできるのは非常に役立った。
じっとしていよう。
携帯の電源も切った。使う必要があるときにだけ使おう。今はどうせつながらない。
横になっていると、いびきの合唱が聞こえる。寝れる人が羨ましかった。
起きている人もいたので、少し言葉を交わした。できるだけくだらない話をした。こんな時に厳しい話をしたって、糞の役にも立たない。非常時には、無駄話が無駄ではないことを学んだ。
夜遅くになって、ラジオが「あらはまに、にひゃくたいほどしたいがあがっている」と言う。
言葉は理解できたが、なんの話なのかしばらく理解できなかった。
したいがあがっている。
外から「たすけてくれー」という声が聞こえてくる。
車の上に人が乗って、助けをもとめているということだった。骨折して動けないとのこと。
何人かが声を掛けたり、救出方法を考えたりしていた。
自衛隊がきて救助された。安堵した。本当によかった。
部屋には、避難してきた付近の住民のかたもいて、犬も一緒にいた。よかった。
ほんとうによかった。
夜が明けて、みんなで外をみた。とんでもない光景だった。いたるところ、泥と車だらけだった。
「あーあれ俺のくるまー」と言っている人がいる。
自分の車はどうかなと思った。ここよりは海からはなれたところに置いてあるから、もしかして大丈夫かも。
構内は道路より少し低くできていて、水が引かないので、外にでることができない。
筏のようなもので脱出する、という当初計画が発表される。
一人あたり10分程かかる模様。1500人いるのでえーっと?
なんとか他の脱出方法を見出してもらったようで、階段を降りて、室内に入ってきた車などの上をよじ登ったり、水に脚をつけたり(とても冷たかった)してなんとか構外に出た。ちょっとしたサバイバルだった。
周りの人は、脚が濡れないようにビニールをかぶせたりしていた。
出れたのはいいが、ここからどうやって帰るのかという課題が現れた。
家まで20kmある。
選択肢はなかった。歩いて帰る以外に。
同じ方向の人がグループになって、歩き始める。
「なにか恐いものを見ても、ひるまずに歩くんだよ」と周りの人に(その実自分に向かって)言ったのを覚えている。
しばらく歩き、津波が到達しなかった地域に入る。
そこは全く別の国のように見えた。
膝下がドロドロな私達をみて(ビニールを脚に被せたり、血を出したりしてたし)小さな声で「わー」っと言っていた。
喉がかわいたので自販機で何か買おうと思ったけど、どれも電気がついてなかった。不便だなーと思ったけど、この後もっと不便で大変なことが山ほど押し寄せてくることを、私はまだ知らなかった。
利府、岩切を過ぎて、行動をともにしていた人たちと一人づつ別れていく。
一人になって、岩切・泉間の田んぼの中を走る真っ直ぐな道路を歩く。この道路が一番ひどくやられていた。電信柱が大きく左右に傾いている。道路もうねっているのか、歩いていると目が回る。
田んぼの上に建築物を立ててはいけない。
正直、歩くのが辛い。24時間以上水すらも口にしていない。
「もけけさーん」と声を掛けられる。
あれだ、幻聴だ、知ってるよ、と思って声の方に振り返ると、同じフロアにいたWさんだった。
タクシーに乗っている。なんてこった。他に選択肢あったんかい。
一緒に乗せてもらった。あっという間に家についた。
家に入ってみると、自転車が1台倒れているだけの被害状況だった。
「ここも別の国だな」と思った。
その後もいろいろ興味深いことがあって、こっちのほうが書きたいことなんだけど、それは別の機会に。
最後に、震災はたくさんのものを奪いました。
しかし「ひどいことがあった」後、それをはね返し繁栄を築いた実例が歴史的、世界的にもたくさんあります。日本の戦後などは、その最たる例です。
「希望」の意味と効能をより濃く理解する人々が、多くなるからだと思います。
私は震災を経験し、東北の地で育った子どもたちの中から、強くて優しい日本のリーダーが出てくるのではないか、と確信に近い予感をもっています。
大人たちのくだらない議論に付き合うことなく、しっかり成長してほしいと願っております。
私も、その人(達)の邪魔にならないように、生きていきたいと思っております。
私が知っている、ほかでもない日本で、6年前に起きたことです。
震災で亡くなられたかた、大事な人を亡くしたかた、まだ避難生活を送っているかたに心よりお悔やみ、お見舞申し上げます。
脱出 |
構内の様子 |
石油コンビナートの火災 |
産業道路 |
産業道路その2 |
流されてきたタンクローリー |
セブンイレブンの駐車状況 |
45号線へ抜ける道 |
国道45号線。ここまで水がくるとは |
利府から見たコンビナート |
歩いているうちに日が暮れた |
後日見に行った車。ながされはしなかったが完全水没。じっと俺を待っていたのか(涙) |
2017年3月9日木曜日
20分走 370kJ ローラーバイクレディ
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 193W 87rpm 141bpm
今後は実走行がメインになってくるが、合間練習はローラーになるはず。
なので1台体制をやめてローラー機を用意した。
写真・仕様は後ほど書く。
その後ポジションの出ていないバイクで「使いもんになるか?」と軽く20分走。
自分はバイクは各カテゴリー?ずつ1台体制。
ロードを2台以上運用するということは無い。
理由はポジション等を合わせるのが難しいから。
内訳はロード、通勤車、MTB、グラベル用ディスクロード、TTバイク。
これに今回の1台。
[メニュー1]20min 193W 87rpm 141bpm
今後は実走行がメインになってくるが、合間練習はローラーになるはず。
なので1台体制をやめてローラー機を用意した。
写真・仕様は後ほど書く。
その後ポジションの出ていないバイクで「使いもんになるか?」と軽く20分走。
自分はバイクは各カテゴリー?ずつ1台体制。
ロードを2台以上運用するということは無い。
理由はポジション等を合わせるのが難しいから。
内訳はロード、通勤車、MTB、グラベル用ディスクロード、TTバイク。
これに今回の1台。
こうやって書くと結構あるなー。
これは自慢話ではなく逆の意味。
同じようなものをたくさん持ってるのって、自分的にはかっこよくない。
(考え方は人それぞれ)
2017年3月7日火曜日
20分走 400kJ
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 192W 87rpm 141bpm
[メニュー2]4min 323W 96rpm 167bpm
レストにしようかと思っていたが、忘れていて漕ぎ始めてから気づいた。
かるく20min/140bpmで。
その後ビルドアップでいっぱいいっぱいまで上げてみた。
4minでUP。
今後は外練をからめてボリュームを意識したトレーニングとなるでしょう。
トレーニングは事業計画通りに進んでおります。まる。
[メニュー1]20min 192W 87rpm 141bpm
[メニュー2]4min 323W 96rpm 167bpm
レストにしようかと思っていたが、忘れていて漕ぎ始めてから気づいた。
かるく20min/140bpmで。
その後ビルドアップでいっぱいいっぱいまで上げてみた。
4minでUP。
今後は外練をからめてボリュームを意識したトレーニングとなるでしょう。
トレーニングは事業計画通りに進んでおります。まる。
2017年3月6日月曜日
FTPテスト 500kJ
[体重]66kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 286W 87rpn 175bpm
FTPテストリベンジ。
250Wぐらいから入り徐々に上げていく。
関門の12分を越え、さらに上げていく。
いずれにせよ、悪くないです。
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]20min 286W 87rpn 175bpm
FTPテストリベンジ。
250Wぐらいから入り徐々に上げていく。
関門の12分を越え、さらに上げていく。
(20分走では12分あたりが一番きつい。それを越えられればほぼ完遂できる。)
最後の3分は300〜320Wのゾーンに入る。
終わったときは290W行くか行かないかのフィーリング。
確認すると286W NPも286Wという完璧なペーシング。
FTPは263Wということになる。
前回から20Wほど上がった。というか本来の数字にもどった。
左右差がなくなったのか、それとも全体的に上がったのか。
左足のみのStagesだと20W程低くなる傾向があった。今はわからない。
ちょっと他のPMでも測ってみたい気もする。いずれにせよ、悪くないです。
2017年3月5日日曜日
10分走 400kJ 鎮魂
[気温]晴れ
[体重]66kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]10min 291W 93rpm 175bpm
土曜はなにもせず。
本日、本来土曜日に予定していたFTP計測を実施。
気負ったのか高く入りすぎて10minでギブアップ。
情けない結果となる。
金曜日の夜に訃報が入った。
レース仲間のMさんが亡くなられた。
同じ年代なので、レースでは文字通り同じゴールを目指した仲間である。
何を書いても薄っぺらい文章になってしまいそうなので、終わりにする。
お疲れ様でした。安らかにお眠りください。
よい思い出をありがとうございました。
[体重]66kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]10min 291W 93rpm 175bpm
土曜はなにもせず。
本日、本来土曜日に予定していたFTP計測を実施。
気負ったのか高く入りすぎて10minでギブアップ。
情けない結果となる。
金曜日の夜に訃報が入った。
レース仲間のMさんが亡くなられた。
同じ年代なので、レースでは文字通り同じゴールを目指した仲間である。
何を書いても薄っぺらい文章になってしまいそうなので、終わりにする。
お疲れ様でした。安らかにお眠りください。
よい思い出をありがとうございました。
2017年3月2日木曜日
1分走 300kJ
[天気]曇り
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]1min 404W 100rpm 159bpm
[メニュー2]1min 410W 92rpm 170bpm
[メニュー3]1min 415W 92rpm 176bpm
[メニュー4]1min 398W 103rpm 179bpm
[メニュー5]30sec 387W 95rpm 176bpm
レストは1min。
5本400W揃えるという意気込みでスタート。
上記の通り5本目でポッキリいきましたね。
あと10秒粘れればきっと完遂できた。
しかし10秒が永遠(とわ)に感じられて私は。
体重は無駄なものを食べないというあたりまえの生活で2kg減った。
例年冬は64kgくらいなのであと1kgは簡単におちるだろう。
[体重]65kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]1min 404W 100rpm 159bpm
[メニュー2]1min 410W 92rpm 170bpm
[メニュー3]1min 415W 92rpm 176bpm
[メニュー4]1min 398W 103rpm 179bpm
[メニュー5]30sec 387W 95rpm 176bpm
レストは1min。
5本400W揃えるという意気込みでスタート。
上記の通り5本目でポッキリいきましたね。
あと10秒粘れればきっと完遂できた。
しかし10秒が永遠(とわ)に感じられて私は。
体重は無駄なものを食べないというあたりまえの生活で2kg減った。
例年冬は64kgくらいなのであと1kgは簡単におちるだろう。
2017年3月1日水曜日
10分走 400kJ L5 なのか
[天気]晴れ
[体重]66kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]10min 301W 89rpm 184bpm(Max 197bpm)
昨日は仕事が(かなり)遅くなり乗らず。
さて、いつのまにか突入してた高強度ウィーク。
本日は10分走。
300Wを意識してスタート。
はじめはなかなかかからず、5分過ぎからすーっと体の芯が出たのでギヤを一枚重くする。
数字が上がり始める。
10分走では6〜7分が一番きつい。その霧のような時間をすぎてスパート。
かなりいった、いききった。
終わってからもう自転車に乗ってられず、すぐに降りて寝転ぶ。体に悪そうだぁ。
な
んと最大心拍数197bpm。あれ?これ記録じゃね?ローラーでこんないくのかぇ。
狙ったワットが出て嬉しいです。
ちなみにワークアウト中(というかいつでも)はLAPの平均ワットなどは表示しておりません。
リアルタイムのワットだけ表示してます。
[体重]66kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]10min 301W 89rpm 184bpm(Max 197bpm)
昨日は仕事が(かなり)遅くなり乗らず。
さて、いつのまにか突入してた高強度ウィーク。
本日は10分走。
300Wを意識してスタート。
はじめはなかなかかからず、5分過ぎからすーっと体の芯が出たのでギヤを一枚重くする。
数字が上がり始める。
10分走では6〜7分が一番きつい。その霧のような時間をすぎてスパート。
かなりいった、いききった。
終わってからもう自転車に乗ってられず、すぐに降りて寝転ぶ。体に悪そうだぁ。
な
んと最大心拍数197bpm。あれ?これ記録じゃね?ローラーでこんないくのかぇ。
狙ったワットが出て嬉しいです。
ちなみにワークアウト中(というかいつでも)はLAPの平均ワットなどは表示しておりません。
リアルタイムのワットだけ表示してます。
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