否、衣食住排(泄)である、とここに宣言したい。
○転院
3/4(月)
病室は6人部屋(ストレッチャーで上を向いての入室・退室だったので間取り等不明なまま)で常にカーテンがひかれているし、自分は上を向いていることしかできないので、他の入院患者の声だけが聞こえる。
みなさん、寝たきり仲間のようだ。
転院先が決まらない為、当然手術日も決まらない。この2日間が精神的に一番きつかった。
排泄との戦い。尿瓶、差し込み便座(という存在を貴兄は知っているか?)
ベッドの上での排泄は精神的にも肉体的にも非常に困難である。
これから超高齢化社会がやってくる。この問題、なんとかならないのものだろうか。
開けて月曜日、転院先が決まった。
自分の場合、ストレッチャーで移動しなければならないので、介護タクシーというものを手配することになる。
なんとなく公共のサービスのような響きだが、民間のタクシー会社が提供するサービスである。
完全予約制なのでジャスト・イン・タイムで手配しなくては転院できない。
転院元病院、転院先病院、付添の家族に調整をしていただきなんとか3/5(月)中に移動できることになった。
介護タクシーのつくりは先日はじめて乗った救急車とほぼ同じだった。もちろん医療機器等は違うが。
転院先は家の比較的近くの整形外科専門病院。
まず外来扱いで診察を受けるという儀式が必要。ストレッチャーに乗せらてた状態で待つ。
外来病棟はここ何日かの入院生活とはうってかわって、ガヤガヤしていて気が滅入った。
診察を受けると、先生から「退院まで最低1月」と言われて、非常に落ち込んだ。
自分は2週間くらいかなと思っていた。
手術は明日(3/5火)していただくということで、安心した。とにかく手術をしないと何も始まらない。
入院病棟に入ると、外来とはうってかわって静かで落ち着いていた。
古いけど前の病院より一人あたりの面積が広い。
ここでも排泄問題が心に影をおとす。前の病院ではみんな寝たきりなのでお互い様だったが、この病室の他の2人は自分でトイレに行ける方々だったので、排泄に対する考え方がが違う(はず)。
明日までだからがまんすることにした。
が、尿は難しい。というか尿を出さないとかなり体にわるいらしい。
もうギブアップして、カテーテルを入れてもらった。精神的に一番きつい夜だったが、看護師さんに助けてもらいなんとか夜が明けた。
看護師さんが女神に見えた。白衣の天使とはよくいったものである。あやうくプロポーズするところだった。
○手術
3/5(火)
手術は午後3時。待っているの時間がとても・とても長かった。
母親に手術の間一人で待ってもらうのはとても心苦しかった。親不孝ものである。
ベッドのまま手術室の入り口まで運ばれる途中、「目を閉じててください」と言われる。
ライトが眩しいらしい。目を閉じているととても不安になる。
手術室のゲート(宇宙戦みたい)でストレッチャーに乗り換え。
中に入って手術室を眺める。こ、怖い。
なんか無機質でだだっ広くて。理科室の広い版ながらなんか資材とかが壁際に並べてあって。
「一体俺をどうするつもりなんだ!」と思ってしまった。骨をくっつけてもらうんだった。
そんなこんなしてたら、突然に麻酔の先生が「いま麻酔を入れました」と言った。おお、もうはじまったのか。
主治医の先生が「もけけさん、それでは…」。
あまり言葉は聞こえなかった。
なぜかと言うと首にフリースの前掛けをかけていらして、気を取られてしまったので。縁起物かなんかなのだろうか。
「麻酔が効いてきましたか?ぐるぐるしてきたら効いてきたということです」と話しかけられるも、よくわからない。
なんか確かにボワンとしてきた感じがある。
実は手術に対する不安は全身麻酔のみだった。
あとのことは先生を信じるしかないので。
麻酔に対する不安とは具体的には「効かなかったらどうしよう。効かないまま手術されたら嫌だな」ということ。
そんなこと絶対に無いんだけど、その疑念が最後まで拭えなかった。変なとこが心配性な自分が嫌い。
そして、視力も聴力もまだあるうちに、手術台に移動される。
「おいおい、まだ効いてないよ」と手をあげようとしたが、体は動かせない。金縛りのような感じ。
ただ、手術台に乗せられた瞬間脚が痛くなかったので、ああ効いてるんだなぁと思った次の瞬間「もけけさん、おわりましたよ」と驚きの報。
私の骨折は転子部ということで、γ(ガンマ)ネイルという術法になった。
血流がいい場所なので、壊死する確率は低いらしい。
頸部のほうが比較的厄介らしい。
大腿骨骨折に関して詳しくは、こちら。
γネイルはボルトで固定する術法。写真を見せられて驚いたんだけど、ボルトと言ってもすごく太い。
骨髄の中に一本柱を通して(髄内釘ずいないていと言う)それに向かって外から締め上げる感じか。
ほとんど大工仕事だなぁ。
自分の体にこんなものが埋め込まれるとは思いもしなかった。
骨の真ん中(骨髄)が空洞なのも初めて知った。はじめは穴を縦に開けたのかと思ったけど違かった。
髄内釘は抜くことは無いらしい。ボルトが外れて飛び出してきたら抜くこともあるらしい。こ、怖い。
前から。ふ、太い |
横から。なんじゃこれ |
もけけ庵ずいない亭の誕生である。
しかし医療ってすごいな。
○3/6(水)
麻酔が切れると激痛が俺を襲う!とほうぼうから言われていたのだがそれほどでもなかった。念の為押すと点滴にプシュと放出される麻酔薬は絶え間なく使っていたが。あと術後便意がなくなっていたのだが…、まさか。
術後、全身麻酔から内臓が動くまでは食事をしてはいけないらしく、消灯時間の21:00を過ぎてから、コンビニのおにぎりを食べた。
これが死ぬほど美味しくて泣けた。
夜は何度か起きたけど、特に眠れないということではなく、平均的な夜だった。
朝一番で、体洗い部隊がやってきてできる範囲で綺麗にしてもらった。
不特定多数の方にちんちんを晒すことによって、なんとかここまで来た。
そして、普通のパンツを履かせてもらった…。う、うれしい。
ところでオムツって独特の匂いがあることを知った。メーカーにもよるのかな。
悪い匂いではないんだけど、今はもう嗅ぎたくない。
レントゲンを撮るということで、車椅子が用意された。
が、手術したほうの脚がまったくもってストライキ。こんなにも動かないものか…。
脳(無意識)が俺をコントロールしているのだ。
膝を曲げるのも突っ張ってできない。やたら太いし。
車椅子は脚を曲げるのがつらいので、すっとばして歩行器を使いたいと、看護師さんに相談した。
午後になってリハビリの先生が来た。マッサージをしてもらうとすごく楽になった。
魔法のようだった。
そして歩行器を用意してもらって、ゆっくり歩いてみる。あ、歩ける。
ぐるっと病棟を一周する。看護師さんやたまたま居た主治医が驚いていたが、自分には強い意志の力があった。
なんとしても自力でトイレに行かなきゃなんに、という強い意志が。
翌日カテーテルをとってもらい(つけたままでもトイレはできると看護師さんは言うが無理だった)ついに5日ぶりに自力でトイレに行った。
これほど「自由」を感じたことは、人生でもそうそうない。
自由は不自由の側面にあって見えづらい。
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