2019年7月24日水曜日

雨練 1170kJ(2019/07/21)

[天気]曇り時々雨
[気温]下20℃
[風]+2
[体重]60kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]19:51 270W 173/185W 73rpm
[メニュー2]21:35 243W 167/184W 72rpm

雨が降ったりやんだり。暑いよりはいいので間隙を縫って出発。直後雨みたいな。

登り始めると本降り。
1本目のタイムは今季2度目の20分切り。
心拍の吹け上がりが非常によい。
過去の記録と見比べるとワットの割にタイムがよい。体重が軽いからか。

それとも、風か?
無風で測りたいがもう矢島なので保留事項とする。

暑くてバテ練 920kJ(2019/07/20)

[天気]晴れ(上は小雨)
[気温]下26℃
[風]+2
[体重]60kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:46 253W 173/179bpm 73rpm

雨が多く通勤も電車。
やっと外乗りができた。

2本ぐらい登ろうと思っていたが、1本目の途中で誰々に。暑い。
底抜けしそうな感じだったので帰宅。

帰宅後計測したら体重が60kgを割っていた。

2019年7月18日木曜日

霧練 820kJ

[天気]曇り・霧雨
[気温]下19℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:12 268W 167/180bpm 76rpm

久しぶりに朝練。
2日レストしたのに何故か疲労困憊。まあこれはダマしだ。

どんよりとした朝、山は降っているだろうと覚悟してスタート。

上り始めると霧がゴイスー。
中腹から案の定小雨で濡れる。

本日は急坂だけスタンディングで。
朝から心拍数が180bpmに達してるなと今考えていたら思い出した。
ゴール手前でブラジャーが外れてポロリ事案な珍事。
心拍数はもう少し高かったかも。

ゴール後すぐに心拍計を付けるために体の動きを止めたら、急に心拍数が落ちてその落差にぐわい悪くなった。ドッキュンという感じ。

体は急に止まれない。

ゴール地点




2019年7月16日火曜日

泉ヶ岳2本 1160kJ(2019/07/15)

[天気]晴れ
[気温]下25℃くらい
[風]+2
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]19:43 273W 171/186bpm 83rpm シッティング縛り
[メニュー2]21:52 241W 171/183bpm 64rpm スタンディング縛り

午後から晴れたので、蒸し暑い中出発。
1本目はこのところ課題のシッティング縛りで上る。2段め辺りから後ろに気配を感じて振り向くと、SY選手。
スパンと抜かれたので、後ろ姿を見ながら上る。
途中詰めたときにたちこぎをしたくてたまらなかったが、なんとか抑えてテーマを完遂。
おかげさまで、追い風参考ながら今季初めて20分を切れた。よし。

2本めはゆっくり上ったんだけど、結構心拍数が高いな。



泉ヶ岳 960kJ(2019/07/13)

[天気]晴れ
[気温]下16℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:24 262W 169/185W 78rpm

ハンドルを40→42に変更。
鳥海山に向けてとにかく登坂。
まあ急に登れるようにはならんよなぁ。

ぐるっと一周羊蹄山(2019/07/08) 1240kJ

[天気]晴れ
[気温]気持ちE
[アクティビティ]ぐるっと一周羊蹄山 65km

毎年恒例の北海道延泊ツアー。今年はゆっくりとニセコを走ることにした。

まず、レースの晩は小樽に行って寿司。無論最高。


部屋に帰ってきてから飲酒。募る話をして0時まで。

朝はなんか食べて、スタート。
なぜか調子がいい。

トモフミさんから「ピーキング失敗ですね」と言われる。
うむ。

朝は曇っていたけど、ちょうど羊蹄山が一望できる京極あたりで、晴れて最高の眺望となる。



気の合う仲間と北海道のライドを楽しめた。人生は上々だ。


鹿肉、蕎麦、ラーメン、コッヒなどを飲食して、北海道に別れを告げた。



説明を追加

まだ来年のことは考えてないが、機会があればまた来たい。
まだやり残したことがあるので。

約束はしない。人生は何があるかわからないから。骨折したりするから。

アディオスアミーゴ。





2019年7月15日月曜日

ニセコクラシック 2019(2019/07/07)

[天気]晴れ
[気温]23℃ほどだが朝は寒い
[風]日本海へは強い追い風日本海から戻るときに強い向かい風
[体重]61kg
[アクティビティ]レース140km

●前日まで
今年も勝負の7月がやってきて、ニセコを無事に迎えることができた。
実質トレーニングとして乗り始めたのは5月くらい、短期間で仕上げればならない状況かつ強度、ボリュームともに無理はできない。転倒を一番恐れていたし、リハビリにも時間を割かなければならない。
で?それが何だというのだろう。
チャレンジすることに毎回違いはないし、状況が同じ年など無い。その時やれることをやって事に臨む。それが趣味で楽しむということだ。

以前から自分は周りの人に「速くなること自体は大した意味がない」と語っていた。
それは負け惜しみとか強がりとか、もちろん自分が速いとか言いたいわけではない。
人にはいろいろな条件があり、その条件の中でベストを尽くすことに意味があると思っている。
でなければ、ツール・ド・フランス(一例)で優勝でもしない限りすべてが無駄な努力ということになってしまう。
線引は自分ですればいい。人の線引で自分を評価することはもったいないと思っている。
私が尊敬するアマチュアサイクリストの方々は皆、どこかこのような考えを持っているように思えてならない。
もちろんリザルトにこだわるというのも重要なことではあるが、どうやってそれを取りにいったのか?ということのほうが私は興味を抱くし、心を動かされる。

前途の考えを行動で指し示すためにも、何がなんでも自分は今年レースを走らなければならないと思った。7月のレースを。

長いミドル走をすることができないため、インターバル走で効率よく負荷をかける作戦で準備した。
が、直前の泉ヶ岳のタイムが振るわず。あきらかに登坂能力が例年よりも低い。体重は軽いがスカスカな感じ。
特にシッティングがだめで、トルクがかからない。特に右足が。
そこでスタンディング(ダンシング)を駆使して登坂するという新たな登り方を模索した。
ある程度手応えがあったが、スタンディングからシッティングに移るととたんにスピードが落ちる。
去年の経験からこれではおそらくパノラマラインで千切られるだろう。

ということを考えつつ、北海道へ移動。
今年はJAL。空いてて手続きが早くていい。
なお機体はブラジル製らしい。

鶏肉といえばブラジル

懸念(期待)していた髄内釘が金属探知機では鳴らなかった…。残念。
これじゃサイコガンも見つけられないじゃないか。大丈夫なのか。

今年はかっちゃん、トモフミさんと3人宿。
いい部屋だった
らんぷ亭でたらふく食べる。トモフミさんも元気そうで何よりだ。
あいかわらず美味い
今年初レースということもあってか、珍しく寝付きが悪かった。

●レース
4時起床。あまりお腹が空いていないけど、無理やり食べる。
スタート前例年の如く寒かった。
K口さんに偶然あって、「今年は各クラスを1つにするらしい」という情報を得る。

滞りなくスタート。
審判者がスピードを落として、周りが抜くのをためらう。K口さんから聞いていたとおり、合体させるんだな、と思った。知らなかったら結構慌ててたと思う。ありがとうございました。

そこからは割とカオス。
自分の周りでは落車は見なかったが、路上に600人以上が居る状況は、世界でもあまり類を見ないレーススタートではないだろうか。ツールだって200人だぜ?
とにかく転ばないことだけを気をつけて走る。
坂が来ると詰まる。アクチュアルスタートの手前で詰まったので、結構抜いて前へ行く。
周りもかかり始める。
そこからは必死。船形山友の会の面々も見える。
この区間が20minのベストを記録していた 。いつもはパノラマライン絡みなのだが。
30min、40min、60minはパノラマラインがベスト。とても興味深いデータだ。

ホットポイントを過ぎて、パノラマラインに入る。
自分のペースで上るが、周りの同じクラスの上れる人に遅れてしまう。
しかし焦らず、へこたれず、諦めずに上る。
今年は一番長く感じた。ただ10人くらいの集団で上れたのでそこはよかった。
集団で下って、そのまま平坦路へ。
これでほぼレースの順位は決まる。20番台かなと思った。
平坦に入って補給するが全然喉を通らない。ジェルですらむせる。
頼みの月餅もだめ。
軽い気持ちで持っていった、おにぎりを食べてみたところ、するする喉を通った!ただ適当にビニール袋に入れただけなのでビニールを引きちぎって食べたところ、ビニールも食べてしまった。
でもこれは今後の補給策にいい材料となった。いろいろやってみるのはいいことだ。

いよいよ三段坂。
上りはじめはいつも遅い。そして内転筋が攣りそうになった。
ここで伝家の宝刀、スタンディング。
の、上れる!足攣りもなくなった。
ああ、練習してきてよかったー。

おそらく例年よりも楽に上った。そこまでの工程が例年と違うのでなんとも言えないが、とにかく三段坂は一番上れた。

あれほど辛く長く感じた三段坂はあっという間に終わって下りに入る。
例の落車現場をやり過ごし、ゴールを目指す。

ゴール前5kmで大きな集団に入ると同じ色のゼッケンの人が5人前後居る。
ああ、ここが大陸棚だなと思った。
レースリザルトには必ず大陸棚があり、そこは人が密集している。
ここで番手を取る、と思い。前は引かないで最後尾付近を走る。
驚いたことに、女性が一人いる。集団内でも奥せず走っていて惚れ惚れしてしまった。もちろん速い。

で、ゴール前の坂、よしここだ!と掛け始めたが、まったくかからず。
ああ、脚が終わっている。
いつものレースならここからなんとか振り絞るのだが、まったく力が入らなかった。
と同時に「よく走ったな」という気持ちが沸き起こってしまい、闘争心がゼロになった。
一応右に曲がってからは下ハンを握ってスパートするも番手は取れず、むしろ離されてゴール。
ハムが攣って動けなくなる。
思わず口から出てきたのは「自転車レースって素晴らしいな」という言葉だった。
自分でも何を言っているんだろうと思った。
でもそれが今回のチャレンジの率直な感想だった。
絵画のような羊蹄山
●リザルト
 4:14'50"  Age45〜49 30位

●装備
 F52-38、R12-28
 それ以外は去年と一緒。
 フロントはこれでいい。リアは11-30がいい。

2019年7月4日木曜日

朝ローラー 150kJ

[天気]雨
[気温]熱くもなく寒くもなく
[体重]60kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]5min 210W 145bpm 84rpm

レース前最後に乗っておくかとローラー。5分アップで5分140bpm、ダウン5分。
と思ったら145bpmだった。

体重は60kg。レース当日は61kgぐらいか。
入院してからこの59~62kgのレンジを保っている。まったく体重管理には悩まされなかった。
mFTPは251W。こちらは期待よりも低い。まあいい。
脚を見るともうバリバリにいい形になっている。
準備期間は短かったが、作り上げるという意味では辛抱強くかつうまくやれたと思う。

とにかくスタートラインに立てたことで良しとする。
あとは140km走るだけだ。

2019年7月2日火曜日

最後の通院 550kJ

[天気]晴れ
[気温]25℃
[風]帰り追い風
[体重]61kg
[アクティビティ]根白石

本日で受傷からちょうど4ヶ月がたち、最後の通院となった。
関係医療各位には大変お世話になりました。
ありがとうございました。
おかげさまで、日常生活にはほとんど問題なく復帰することができました。

当初抜釘のつもりはなかったのですが、なんとなく抜いたほうがよいかなという気持ちに傾きつつあります。
先生に相談したところ特に問題はないけど、割とボルトの穴が大きいので、穴付近の再骨折の可能性はある、とのこと。
慎重な先生なので、それは最悪の場合を言っているということは理解できるようになった。

リハビリの先生とは最後となるので、お礼を言ったが照れくさそうにしていた。
当たり前のこと以上に私に希望を与えてくれたと本当に思っている。
特に術後一日目から歩くことを勧めてくれたのはこの先生だったからだと思う。

今日は「リハビリ」と言うよりも「自転車のトレーニング」という観点での動きをいろいろ教えてもらった。(スポーツ医学のほうにも明るいらしい)
これから少しずつ実践していきたい。

ライドの方は軽く流す程度 。久しぶりの乾燥路を楽しく走った。
ポジションはバッチリ出てるし、機材も問題なさそう。

途中、泉ヶ岳が見えて眺めていたら、なにやらジーンと来てしまった。

今週末は力の限り走る。

2019年7月1日月曜日

流し クリート調整 200kJ

[天気]曇り
[気温]蒸す
[体重]61kg
[アクティビティ]ローラー

路面が乾いていたら外を流そうと思っていたが、ウェットだったのでローラーで。
140bpmで10分漕いで終了。

途中クリートの調整をわずかに行った。
すると左右差が53/47。。。。ここのところ51/49に落ち着いていたのだが。

違和感はむしろ消えた。これは興味深い現象だな。

ところでレース前一週間はいつもながら何をやっていいかわからん。

2019年6月29日土曜日

ヒデキカンゲキ 1100kJ

[天気]雨
[気温]下16℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:14 270W -bpm 78rpm
[メニュー2]23:34 226W -bpm 65rpm

雨雲レーダーを見ても天気予報を見てもいつ雨が降るのか降らないのかわからない状況。
路面が乾いていたので出発したところ、少し寒いので戻ってウールジャージに着替えて再出発したら、雨が降り始める。

まあ降ったりやんだりだろうと思い気にせず進む。
今日は速く上りたい日だった。
ニセコ前に(トンネルまで)20分をどうしても切っておきたかった。

全弾撃ち尽くしで上り途中で「こりゃいけるでしょう」と思ったが、全然いけてなかった。
去年より軽いので、あと10Wあれば去年並に走れるのだが。長距離はわからん。

なお本降り。雨になれたのかもはや降っていようが止んでいようがどうでもいい感じ。

下っている途中からめずらしく「もう一本」の声が聞こえてきたので、スタンディング縛りで上った。

心拍計の電池が切れて記録なしだが、2本めは全然苦しくなく2分しか差がないことに驚く。

骨折から復帰してから如実に2つ変わったことがある。
1.サドルが低くなった。
 8mm低くなった。その分前も低くした(丸ハンドルにして)。
骨折した右足の膝から上の内旋がひどくなっていて(以前から内旋している)膝の起動がだいぶブレるので、サドルを低くして対応している。クリートはできるだけ動かないように青から赤にした。
なおサドルが低いほうがペダリングは難しくなると思ってます。続きはWEBで。

2.スタンディングが上手くなった
 フィジカラルがないのであればテクニックでカバーするしかない。また体の使い方を工夫していくなかで、自然とスタンディングが増えていった。今日も20分以上立ちっぱなしでも全然問題なかった。今日のように楽に上るだけならば、たぶん1時間でもつづけられる。昔コンタドールがスタンディングの練習を20分間くらい連続でやって手が痛くなるとインタビューで答えていて、んなアホなことやるのかと思ったが、必要に迫られればやれるようになる。
スタンディングのコツは上半身の脱力なのだが、これをするにはその前提としていろいろなことが出来なければならない。続きはWEBで。

雨の間隙を縫って乗るつもりだったが、結果的には乗っている間だけ本降りだった。。。。
レースで自転車がぶっ壊れるといやなので、もう雨の中は乗るのは控える。
明日晴れないかなー。

2019年6月28日金曜日

待つ心 260kJ

[天気]曇り
[気温]低いが蒸す
[アクティビティ]インターバル
[メニュー1]7:58 188W 123/163bpm 79rpm (1:59)
[メニュー2]1:21 353W 150/170bpm 97rpm (2:43)
[メニュー3]1:15 366W 151/170bpm 96rpm (2:12)
[メニュー4]1:13 367W 158/175bpm 96rpm (2:57)
[メニュー5]1:30 361W 162/180bpm 96rpm

日曜日のライドの疲れが日に日に強くなり久しぶりに超むくみ。通勤でも脚に力が全く入らず。
やはり一気乗せは良くない。

結局4日間ダメ。こういうときは待つしか無い。やっても底抜けしてゴム人間になるだけだから。

本日、朝起きてふくらはぎを見るとほっそりしてきたので、ダルさはあるがこれはだましだと判断。
雨は降っていなかった(あるいは霧雨)だったが路面ウェットなのでローラー。
休息のあとは?
そう、インターバル。
1本目というか、アップから様子見で160bpmまで徐々に上げてみる。
いけるじゃん。
ということで、心拍170まで、下は120に落ちるまで待つ。
無理せずにきっちり落ちるまで待つ。
あと、インターバルで大切なのはフォームを乱さないこと。
ガチャ踏みでやると怪我をする恐れがあるし、トレーニング効果としてもよくない。

4本目、5本目は下130で上を175、180で。
汗がとまらん。

2019年6月23日日曜日

雨の蔵王越え 4100kJ

[天気]曇り時々雨のち晴れ
[気温]青根19℃ 上山20℃ 天童25℃
[風]48号線向かい風
[体重]60kg
[アクティビティ]赤坂→落合→秋保→川崎→蔵王→西蔵王→山形→天童→赤坂 (195km)

計画どおり、ここらで一発キツいライドを。
土曜日はレストにして、寝て食べて自転車の整備のみ。

起きると予報通り曇だったので出発。丸パン2個と赤飯のおにぎり1個。
補給は足りなくなったら現地調達と思っていたが、結局追加なし。エネルギー切れ的なものはなかった。

今回のテーマとしてはできるだけハイボリュームを無休憩で。
コース全体をイメージして力をセーブあるいはかけるをうまくやる。

青根まではまったく問題なし、苦手な青根でヘロるかと思ったが淡々とクリア。
そして雨。

遠刈田に下りながら蔵王を上るか逡巡するも計画どおり上る。行けるところまで行こうとそのまま上る。上は晴れているかもしれないし。

防寒具を持ってなかったので不安もあったが、上っている分には全然問題なかった。
久しぶりにビッグ・マウンテンを上ったが、集中して上れた。
雨は割と降って、キャップから水滴が滴り落ちるくらい。
20min、60minのアベレージワットが変わらなかったので、ペース配分がうまくいったのであろう。
あいかわらず上の方ではやんだぐなったが。
そうか38T(リア30T)で上ったのか。

そして上はやっぱり晴れていた。




山形側もドライで晴れていた。
下り始めは寒かったので、こっちも雨が降っていたら、やばかったかも。



なおオタフクのアームカバー(日焼け防止)は使えます。
濡れてもすぐ乾いた。

西蔵王を走っている間に、ニセコで消費するであろうkJを越えたのでペースを落とす。
後は帰るのみだが、ここからが長く感じた。

笹谷は通れないそうなので関山まで北上。
笹谷を上っていたらクラックしていたに違いないからこれはこれで良かったか。

が、関山も山形側はダラダラ長い。
十二分にやんだぐなって、帰宅。

休憩は東根あたりで水がなくなった(ワンボトル)のでコーラとポカリを購入したときのストップのみ。

とりあえず課題はクリア。
7:40ほどのアホなトレーニングを完了。
一つ自信になった。
こういう練習は一人でやるべきだと思っている。

2019年6月21日金曜日

ゴリ夢中 830kJ

[天気]曇り上小雨
[気温]16℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:56 261W 168/182bpm 75rpm

雨が降りそうだし脚が重いが、心を無にして出発。
LAPを切らないで上ろうと思っていたが、レースまでは緊張感を保ちたいので、思いなおして切る。
登るに連れて霧が濃くなり最後は小雨。

心拍の上がりはいいが、例年に比べるとWが低い。
しかしあるものでやるしかないのだいつも。

夢を失うよりも悲しいことは、自分を信じてあげられないこと。

2019年6月20日木曜日

バルデイ4 680kJ

[天気]晴れ
[気温]15℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]インターバル
[メニュー1] 1:52 347W 158/171bpm 87rpm シッティング
[メニュー2] 1:57 343W 165/177bpm 73rpm スタンディング
[メニュー3] 2:03 319W 162/174bpm 71rpm 下ハンスタンディング
[メニュー4] 2:05 304W 160/173bpm 82rpm シッティング
[メニュー5] 2:06 317W 164/175bpm 68rpm スタンディング

何故にか4:00に目が覚めたので、いつもより30分早く出発。
昨日一昨日と通勤のみだったので、今日はインターバル。

泉ヶ岳の一番最初の坂を上ると2分走になるので、それでやる。
シッティング、スタンディング、下ハンスタンディング、シッティング、スタンディングでまんべんなく体を使う。
1本目2本目は非常に良いタイム。3本目の下ハンを交えたところで急に遅くなった。
本数の影響かスタイルの影響かはわからない。
飽きずにできるのでよいかも。

最近はシッティングがまったくかからない感じがあったがそうでもないようだ。

今日のギガント


2019年6月17日月曜日

上は降っていた。レインボーデイ 850kJ

[天気]晴れ(上は雨)
[気温]15℃
[風]+7
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳

台風(ではないが)一過なのですっきり目覚めて、出発。
風が強い。少し肌寒い。
昨晩インナーを38Tにしたので上りを上って確認したい。

カラッとした天気で虹が出ていた。


わお。

上り始めるとポツポツと降ってきて、上の方は本降りだったが、気持ちよく上れた。
帰りには丸虹。




こんだけ見事な虹は珍しい。
家の近くは晴れていて、虹が際立って見えた。



2019年6月16日日曜日

バルデイ3 300kJ

[天気]雨
[気温]20℃蒸し暑い
[体重]61kg
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]2min 312W 154/168bpm 95rpm
[メニュー2]2min 320W 168/177bpm 96rpm
[メニュー3]2min 323W 172/183bpm 97rpm
[メニュー4]2min 310W 179/187bpm 95rpm
[メニュー5]2min 307W 179/189bpm 85rpm

昨日土曜日は完全レスト。本日雨のため県北クラシックが未開催になり晴れるのを待って外乗りしようと過ごす。
体よく晴れたので散髪に行く。あれ?

結局降ったりやんだりな天気だったので夕方にローラー。

レスト明けは、そうインターバル。
シーズンインしてからはローラーは長時間乗らないほうがいいと思っている。

今日は2分走で310Wを目標に。
4本目はあまりの苦しさにLAPボタンを押し間違えて推定値。
5本目はもう死に体でケイデンスを落としてなんとかやりきるも目標値を下回る。

2分走は1分30秒を越えたあたりからエクトプラズムが口から出てくる。

2019年6月14日金曜日

上は晴れていた 830kJ

[天気]晴れ
[気温]18℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]21:42 252W 167/182bpm 76rpm

起きたらどんよりした空。
しかし今日は乗らねばならぬ日。というか自然と乗りたい日だった。



今日は泉ヶ岳を上るつもりだったので、このぶんだと上は小雨かもしれないと覚悟していった。

が、思ってもいないご褒美。

以前「下はもやっていて上っていくと晴れていくシチュエーションが好きだ」とつぶやいたことがあるが、今日はそんな感じの日だった。最高である。



疲れていてシッティングは全然かからず。たちこぎでごまかしながら必死に上った。
天気に助けられた。

さて、今日も一日清々しくがんばろうという気持ちになった。
が、すでに眠い。

2019年6月13日木曜日

人生いたるところにバルデイあり 670kJ

[天気]晴れ
[気温]寒いが半袖半ズボン
[体重]61kg
[アクティビティ]インターバル
[メニュー1]408W 1:12 163/177bpm 88rpm
[メニュー2]380W 1:10  160/171bpm 103rpm
[メニュー3]377W 1:17 162/172bpm 95rpm
[メニュー4]340W 1:22 160/172bpm 94rpm
[メニュー5]330W 1:24 157/169bpm 97rpm

昨日、インターバル・トレーニングの父ザトペック氏のことをいろいろ読んで、嫌いだったインターバルが好きになりました。嘘ですが。

事前に申し渡しはありませんでしたが、バルデイは一定の期間行われます。
オクトーバーフェスみたいなものです。

今朝は実走にて行いました。
3本目でやんだぐなった。がなんとか5本。データにも如実に現れている。
距離のLAPでやっているのだがGPS(かガーミンのピッ)が微妙にずれるので、最後「まだかよー」になることが多い。
慣れてきたらもう少し本数を増やしたいが、慣れることはないような気がしている。

2019年6月11日火曜日

6月11日は世界インターバルデイ 180kJ

[天気]曇り
[気温]寒い
[アクティビティ]ローラー
[メニュー1]357W 1:04 157/165bpm 101rpm
[メニュー2]398W 0:44 148/169bpm 99rpm
[メニュー3]406W 0:39 158/170bpm 99rpm
[メニュー4]405W 0:44 163/175bpm 99rpm
[メニュー5]398W 0:49 164/178bpm 100rpm

みなさんご存知かと思いますが、今月10日に発表されたとおり、6月11日は世界インターバルデイということになりました。
自転車はもとより、陸上競技、水泳、そして、わんこそばに至るまで、それぞれの分野で一斉にインバーバルをしようという趣旨で、俺が決めました。

アースデイみたいなものです。

バルデイと気軽に呼んでほしい。

なぜ6/11なのかと申しますと、「そろそろやんなきゃいがんべ」という切迫からです。
時間が許す限り(疲労限界まで)積んで、休んで、インターバル。これが勝利の方程式です。

朝に実走でやろうと思ったんだけど、スヌーズインターバルになってしまったので、帰宅後にローラーで。

まあ、いやなんだわ。
だからこうやってくだらないこと言って盛り上げないとやれないんだわ。

やり方は心拍ベース。
ターゲートは170bpm。
一本目は165bpmでオールアウト。
二、三本目からはノルマ達成。
四本目は175bpmに挑戦。
五本目は180bpmを目指すも届かず。

こんなもんかなぁと思い過去の記録を見てみると
https://ukowa.blogspot.com/search?q=%E3%83%8A%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%AB

もっと時間をかけて上げていた。
んー。見てからやればよかった。

まあこれで一皮剥けることを期待する。

なお、この投稿に対する正しいツッコミは「年一かよ」です。

2019年6月9日日曜日

山形ライド 1500kJ

[天気]曇り
[気温]15~20℃
[風]白鷹で向かい風
[体重]61kg
[アクティビティ]山辺→県民の森→白鷹→りんご温泉の近く→山辺

まずは、食事会。
エンドーさんで一席いただいた。旨い料理ありがとうございます。
エンドーさんはゲソ天だけではなかった。
写真は無い。

自分も含めて6人で集まったが、3人がサイトウ、2人がカツヤという始末。
俺だけがオリジンだった。
多すぎ問題が多重化している。山形県をあげて取り組んでいただきたい問題である。

みんな車だったのでお酒のかわりにパインサイダーで乾杯。
お酒がないほうがきちんと話ができていいな。
普段の集まりは次の日覚えてないやつばっかりだからな。

みなさんお忙しい中お集まりいただきありがとうございました。
大変楽しかったです。

山辺サイクルステーションに移動して、かっちゃんのおばあちゃん、おかさんとTV鑑賞などする。
はじめて会う友人の家族と無言の時間をすごしてもまったく気にならない。
骨太の客人とは俺のことだ。
慣れない寝床でもぐっすり眠れる。
大変お世話になりました。

雨ライドの疲れもとれて、出発。
曇で涼しく絶好のサイクリング日和となった。

パーティは
 サイトウ(おんちゃん)
 サイトウ(食力家)
 サイトウ(ネクスト・ジェネレーションピュアクライマー)
 カツヤ(O)
 カツヤ(W)
 M山(オリジナル)
 もけけ(骨折でお馴染み)
敬称略
となる。

県民の森の手前の農業試験場前までですでにペースが速い。
O君を前に出してはいけないなとこの日一日中思うことになる。

農業試験場で骨折が飛び出すもすぐに追い抜かされて虫の息となる。骨折した箇所のボルトが緩んだ模様。
名うてのクライマーは確かに脚力あるなぁということがわかった。

一度走ってみたかった県民の森をやっつける意気込みでかけるも5分でオールアウト。
心拍が180を上限に頑として上がらない。
前方O君を目印にせっせと上る。
な、長い。20分坂と聞いていたが、長く感じた。20分は速い人の話だった模様。

久しぶりにレースペースで走って、視界が狭くなるような負荷を全身で感じた。
何回かやればもう少し上げられるはずだ。

なお頭をとったのは、かっちゃんだったらしい。
山形で名うてのピュアクライマーをオールドタイプが力でねじ伏せる形となった(と勝手に思っている)。
双方にとってとてもよいことだと思う。
しかし山形の速い人はみんな鼻にかけないいいやつが多いな。

ペースが安定しないのは自分がしきい値だと思っているラインは実はしきい値より高くて、苦しくなって回復、苦しくなって回復を繰り返すからだ。
また苦しくなって回復のルーチンもとても遅い。自足がないんだ。
まあいいや。

裏を下って、といいつつアップダウンが地味にきつい。ちぎれてしまうも、Tおんちゃんに助けてもらう。かたじけない。
盆地オブ盆地であるところの白鷹(ここも走ってみたかったところ)に入り、休憩。
どら焼きとまんじゅうを購入し、どら焼きを食べる。



鮎が泳ぐ河を左にみつつ北上。平坦基調ながらペースが速い。
ローテーションをしているのだが、自分はできず。
平坦を速く走る練習はためになる。
どこらへんかで、右に折れて山辺を目ざす。

あっという間にりんご温泉到着。
コンビニでだべってから上り始める。
き、きびしい。

またもやO君を前に捉えつつ上る。一度追い抜いたが最後のつづらで強烈にまくられた。
背中に入れていた味噌まんじゅうが潰れるほどの勢いだった。
潰れてもまんじゅうはうまかった。



山辺に下って解散。
いやー楽しかった。その証拠に全然写真がないしIF0.91だった。きついわけだ。
70kmほどの行程だったが、ほとんど信号もなく、坂で始まり坂で終わるかなりいいコースだと思う。
山形はビッグマウンテンもあるしロードレース向けのアップダウンもあるし練習場には事欠かないなぁ。
そうそう、県民の森の入口あたりは高台で街を見下ろした感じは群馬っぽかった。からっ風街道とかそんな感じ。

自分は13号線から宮城側のサイドは山形に知り合いが居ない頃からよく走っていたので、土地勘もある。
13号線より日本海側は殆ど知らない。アプローチにも時間もかかるし。
今回一部だけでも走れてとてもよかった。
あのへんの空は宮城では見れない感じの空だ。表現し辛いけど雲と山の距離が近い。

レースをやっている人の中には、もしレースをやめたら自転車には乗らないという人も結構な人数いると思う。
自分はそのタイプではないようだ。

山形のみなさん、濃い週末をありがとうございました。
千切れまくりではありましたが、おかげさまで自信を取り戻すきっかけになりそうです。

2019年6月8日土曜日

ツール・ド・さくらんぼ2019 2200kJ

[天気]雨
[気温]17℃
[アクティビティ]ツール・ド・さくらんぼ

昨年サポートライダーという立場ながら、財布を落として泣き叫ぶ姿を晒してしまい、サポートされまくってしまい慚愧に堪えない日々を過ごしてまいりました。
挽回のチャンスをいただき、心をこめてサポートすることを誓い、当日朝を迎えました。
雨。
「行きたくねーな絶対に」
なにか言い訳を探し、おもむろに体温計などを出して体温を測ったりしたが平熱そのもの。健康そのもの。
自転車がぶっ壊れていないか隅々までチェックするも一縷の不具合も無し。レースも安心して走れる状態。

無い。
何も無い。言い訳が。

まあ寒河江は晴れているかもしれないから行ってみるか、と気を取り直して出発。なお仙台よりも寒河江は降るという情報は黙殺した。
金曜日に既に葉山無しの決定がくだされていて、「なんだよー残念だなー」なんて強がりを言っていた自分が憎い。

かっちゃんに乗せられて会場につくと、小雨。
はははこれなら大丈夫だ。
ブリーフィングなどを済ませたら、本降り…。これからずーっとこんな感じだと人々は口にする。

寒くないのが救い。

仙台から参加すると言っていた知人達も軒並みDNSのようだ。
しかし参加する人たちもここに集まっている。

こんなバッドコンディションのときこそサポートが必要じゃないか?と自分への問い。
ネガティブな発言は一切口にせずに走り続けよう。その姿をもってこのイベントが成功だったという表現をしようと思ったら積極的な気持ちになれた。

もう何回も走っているので町中もロストはしないで先導できた。成長を感じる。

慈恩寺の下りはかなり斜度があるので、トラブルがあったようだったが大きなものではなかったようだ。

パンクが多いかなと思ったけど、自分の見ている範囲では去年と同じくらい。
今年はパンクはできるだけ、自身に修理させる方針ということをリーダーから言われた。
自分はもともとその主義だったので、いいことだと思った。
「できますか?」と聞くとやってもらえる(それも参加費に含まれたサービス)だと思われる可能性がある。
だれだってパンク修理はいやだ。がんばれば自分でやれる人もついつい頼ってしまうかもしれない。
何回か「大丈夫ですか?」とは声をかけたが、自分でできそうな人、自分でやっている人、グループで走っている人には声をかけなかった。
立ち往生(何回目かのパンクでチューブが無いなど)している人がいれば、もちろん声をかけるつもりだった。

DNSが多かっただろうから、エイドでもサポート能力を遺憾なく発揮しようと思ったが、それは許されなかった。

特に大きな問題もなくたんたんと進み。業務終了。
雨だとスマホがいっさい使えなくなるので、写真はひとつだけ。
月山湖の下のだむがもやってててとても幻想的だった。



雨走行の注意点も再確認でき、後片付けの大変さも再認識。
BB大丈夫かなーと思ったけど今の所問題がでていない。

はたから見ると大したサポートはできなかったかもしれないが、自分的には満足している。

自分が参加者なら、まあDNSだわなというコンディションのなか、参加された人たちの自転車熱には驚かされた。
とちゅうでやめるひとが多いと回収は困難を極めることは目に見えて明らかだった。
おかげさまで、こちらも楽しく走れました。

服装は下はレーパン、上は船友ジャージの上にウィンドブレーカー。ウィンドブレーカーは全く役に立たず。
雨の中走るのはウールジャージが一番いい。
遮水性は低いが蒸れないに濡れた感じがしない。
船友長袖ジャージの企画検討が待たれる。

でも来年は晴れるといいな。
あ、大会が終わるころに晴れてきたな。お天道様にはかなわない。

この日はかっちゃんの実家に泊めてもらうことになっていて、次の日山形でライドしました。
続きはWEBで。

2019年6月6日木曜日

土砂降り練 530kJ

[天気]曇りのち雨のち晴れ
[気温]17℃
[風]0
[体重]62kg
[アクティビティ]泉ヶ岳一段目まd

週末に距離を乗ることになるので、疲労スケジュール的に今日は乗っておきたいところだった。
路面は濡れているが降っていないので出発。
本道をもくもくと上ろうとふもとまで行くとポツポツと降ってきた。
まあすぐ止むべと上り始めたら本降りというか土砂降り。

船友ウールジャージのおかげで寒くなることはなかったが、普通のジャージだったらやばかったかも。

久しぶりにずぶ濡れになって帰宅。
これを書いている今は清々しく晴れているまる


2019年6月4日火曜日

12週間経過 850kJ

[天気]晴れ
[気温]下18℃
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]21:37 250W 169/179bpm 80rpm

骨折から12週間が経過して、大腿骨転子部の骨折ならばくっつくと言われている期間がすぎた。
コインランドリーのマダムにも「もう治ったんじゃね?」と太鼓判を押されたので、少し負荷をかけていくつもり。

ということで、泉ヶ岳本道をエッチラホッチラと朝から上った。
やはり後半タレる。
疲労を蓄積した状態だと、後半から上がっていくことがあることを思い出した。そういうのが本当に強い状態だと思う。

ニセコまであと1ヶ月。やりきる。

練習後mFTPが250Wになる。これでsFTPと一致。
今朝の練習のTSSが103。IF0.85え?そんなにいってないという感覚があるので、本当はFTPはもう少し上だと思う。
こんな感じでTSSは信用ならない(人を迷わせる)。

2019年6月2日日曜日

泉ヶ岳TT 1000kJ

[天気]晴れ
[気温]25℃
[風]+3
[体重]61kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20:14 272W 177bpm 79rpm

金曜日の通勤で非常に疲労を感じていたので、土曜日はレストして自転車の整備。SRMの170mmクランクアームを入手したので、換装。インナーも34→36にする。
で試運転と思ったら電池切れ。最後に使ったのが時空の路に出た年だったはず。3年前?そりゃ切れるか。
アウター50Tを試してみたいというのが理由だったので、とりあえず左にStagesをつける。Stages便利。
その後キャンプなどして英気を養う。

日曜日はそろそろ出し切る練習をしておいたほうがいいと思い、本道をフルアタック。
レストのおかげか非常に掛かりがよく、なんか自己ベストを狙えるほどの感覚。
しかし岳山珈琲の前からタレ始め、終わってみれば20分も切れず(トンネル前まで)。

ワットは乗っているが、今は左足53%くらいなのでStagesだと高くでるはず。

とはいうものの、出来はわるくないので一安心した。
筋持久力がまだまだな感じ。


2019年5月31日金曜日

kJ対比 790kJ

[天気]晴れ
[気温]出発時肌寒い
[風]なし
[体重]61kg
[アクティビティ]七北田ダム

スヌーズからの立ち上がりがやや早くなった。
船友ジャージ日和。

昨日と全く同じコースを走る。
本日はNP204 時間1:19。昨日はNP202 時間1:23。
今日は風がなく昨日はあった。
kJは昨日が800kJ 今日が790kJ。
今日のほうが疲れている「はず」だが、今日のほうが掛かりがいい感じがした。
なんとなくしっくりこない。というか面白い。時間が4分ほど短縮されているから今日のほうがkJが低いのか?
PMのぶれかもしれないが。

一応七北田ダムの上りは全力で上る。高心拍数でのねばりが出てきた。これを伸ばすのだ。

2019年5月30日木曜日

働き者は早起き 800kJ

[天気]晴れ
[気温]家を出るとき15℃
[風]行き向かい風、帰り追い風
[体重]61kg
[アクティビティ]七北田ダム

5:00に目覚ましをかけるも、そのちょっと前に起きる。
スリープサイクルを使っているので体を動かすとアラームが鳴る。
もう少し寝ていよう、もう少し寝て、でスヌーズの嵐。
こういう起き方だとあまり目覚めはよくない。

少し寒いし今日はやめておこうかと逡巡するも、じゃあいつやるの?という問いが。
体は疲れているように感じているが、疲れているわけがないのだ。たぶんただ眠いだけなのだ。
行ってみて駄目だったら戻ってくればいい、という心持ちでスタート。

昨日の雨+放射冷却で肌寒い。ベストを羽織って走ったが、これはベストな選択だった。

澄んだ空に映える木々。田植え後の新田。すばらしい光景。
とても気持ちがよかった。

今日の朝顔

七北田ダムを必死の形相で登って下ると、人の気配。
道端に車椅子があり、畑を耕すおばあちゃんが居た。
思わず足を止めてしまった。
働くこととは尊いことである。本来は。

今朝の働き者

日に日に走れる感覚が増すのは、疲労を避けて走っているからだ。
一度疲労の渦に巻き込まれる必要性を感じている。

2019年5月26日日曜日

暑いしキツい 2350kJ

[天気]晴れ
[気温]30℃
[体重]61kg
[アクティビティ]落合→秋保→川崎→青根→黄金川→村田

金土曜とレスト。
レストと言うよりもリカバリーという言葉のほうがよいのではないか?とツイートしている人がいましたが、レストのほうがしっくりしますね。

土曜日に乗る予定だったが、久しぶりにかっちゃんと青根周回練ということでそちらに注力。



もはや日々の数字とか見てなくて、レース日までのカレンダーばかり見ている。

今までは






のように自転車を乗っていた(●は強度高い、○は強度低い)のだが、今は









のような感じ。
戦々恐々として薄氷を履むが如し。

つくづく自転車というのは回復力(長いスパン、短いスパン)を如何に高めるかというのが重要であり、結局のところ回復力分しか乗れないのである。

さて、青根を2周というメニューであったが、アプローチでもう息絶え絶え。一本目の青根ぐらいは頑張ろうと走る。
案の定別荘区間で離されるもこれはいつものこと。
で、そこからペースで行くがペースが安定しない。どうしてもぴょこぴょこしてしまう。
無理して走っているのだ。

2周なんて到底無理。暑いし無理せず青根温泉でかっちゃんを待っていようと思い青根につくと、かっちゃんが居た。

うなずき合い、一路黄金川温泉へ向かうのであった。−完ー

Don't never give up.

村田のリッキーズで昼食。久しぶりに布袋農園でアイスコーヒーなどいただく。
誕生日みたいだろ?
アイスコーヒーうまいよ

普通にグルメライドでしたまる。
まあいっか。
やけに暑かったな


2019年5月22日水曜日

今季初朝練 泳ぎ方を思い出した男 820kJ

[天気]晴れ
[気温]出発時半袖半ズボンでは肌寒い
[風]0
[体重]61kg
[アクティビティ]七北田ダム

なぜにか5:00に目覚める。特に朝練をしようとか思っていなかったのであるが、もったいないので、いろいろ試したいこともあったので出発。

昨日、クリートを青から赤に変更したし、先週末RDを9070から8150に変更した。
それ以外はポジションはいじっていなかった(春に丸ハンから今どきのハンドルに変えていたが)



いやーこの時期の朝練はいいやね。ちょっと肌寒いけど。

泉ヶ岳本道を上るのはまだちょっと時期尚早なので七北田ダムへ。
上り始めると調子がいい。当然ベストな状態よりはワットは低いのだが、なんというか形がいい。

泳ぎ方を思い出した。あとは続ければいい。
このコースで800kJ超えということはアプローチや帰路が速くなっている証拠である。
NPは200W、IFは0.80だった。なおsFTPは骨折前冬明けの数値250Wでやっている。

課題は疲労と距離だな。

あとあれだけ低く感じたハンドルが高く感じる。丸ハンに戻すかな。

久しぶりに著者近影

2019年5月18日土曜日

今日のフルアタック 1100kJ

[天気]晴れ
[気温]22℃
[風]+7
[体重]60kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]21:06 244W --bpm 78rpm
[メニュー2]23:57 210W --bpm 68rpm
心拍計を忘れた。。。。

今週は自転車通勤で平均スコア(kJや「あの信号を通過できるかどうか」みたいな目安)を金曜日にマーク。復調していることを実感する。

調子に乗ってマイ峠のタイム計測をやってみようと出陣。
といっても頭真っ白になって転倒、再骨折なんてのは勘弁なんで9割くらいの掛け率で。
髄内筋(なにそれ)も一応気づかいながら上る。実際のところは気づかえ無いんですが。

強め目の追い風だったのにもかかわらず、タイムは伸びず。おそらく調子がいいときなら18分台が出たと思うコンディション。少し熱ダレした模様。

ワット的にはまあこんなもんかと。走り方が雑だな。みんな知ってると思うけど長い時間ハイワッテージをキープしたいなら上げ下げは極力抑えるべきで、そのへんが下手くそだとタイムも出ない。

で、去年はどうだったかというと、5月はロードレースを2つ走っていたので泉ヶ岳を上ってないみたい。振り返るとこの調整はあんまりよくないな。やっぱり俺は上ってなんぼだ。

で、6/2の記録が以下の通り。
[天気]晴れ
[気温]下25℃
[風]+3
[体重]63kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]19:21 274W 58rpm 167bpm
[メニュー2]20:54 249W 58rpm 165bpm
[メニュー3]21:43 235W 78rpm 163bpm

つ、強いはこいつ。
一本目のケイデンスが低いことから、トルク練習だな。それでこのワットか…。
体重は3kg重いけど…。

まあ今はやるしかないんだわ。

ところで、根白石に中華屋さんがあって(入ったことはない)、店名を「覇龍」というんだけど、もしかして針生さんなのでは?と思っている。10年間くらい思っているので書いてみた。

2019年5月11日土曜日

it's only HR 1600kJ

[天気]晴れ
[気温]20℃ほど
[体重]61kg
[アクティビティ]赤坂→落合→秋保→川崎→村田→茂庭→吉成 83km

今週は平日すべて自転車通勤をした。
日当たり400kJ弱と大した仕事量ではないが、なれていないのでなかなかの疲労感。
ただ、日々乗る形がよくなっていっていく感覚がある。

少し長いのをそれなりの強度で走るという課題を課す。
それなりの強度というのはL3であり心拍数140しきい値。

見るのは心拍数のみでOKなので、メーターはこんな感じとなる。

it's only HR

他の数字はむしろ雑念となる。
sFTPも変更していないし、そもそもCTLだのTSSだの断面をスパッと切ったような「ゆれる」基準値はあまり見てもしょうがないと思っている。コーチとか他人が見るにはいいのかもしれないけど、自分は感覚を大事にするので。
ただし量は見たい。なのでkJは取る。

やってみるとなかなか楽しいゲームである。登坂はかなり心拍が上がり、ときに180に達した。上は別に気にしない。

130を割ったら休憩と考えていたらちょうど折り返しの村田でそんな感じに疲労したので、昼食を食べて休憩。

その後は心拍数を維持できて、予定通りAve143という数字。
乗っているときに脚が売り切れる感じもなく初回としてはよい感触だった。
今月は週末こんな感じで乗ってみようと思う。

ターゲットレースまで時間が無いが、この工程をすっ飛ばすわけにはいかないと思っている。
6月に入ったらLTをやる。焦りは禁物だ。一回の疲労の山でレースに挑むことになるが、人生ワンショットワンキルなのだ。

明日はレストで体の反応を見てみる。患部がどうなるか。

2019年5月6日月曜日

日常 430kJ

[天気]晴れ
[体重]60kg
[アクティビティ]泉ヶ岳麓まで

ダーイシ練後、骨折した箇所以外(膝、背中など)の部位が痛くなりレスト。
まだまだ体は本調子にほどどおいなれど、軽く流して家に帰って風呂に入っているときに、やっと日常が戻ってきた感がおとずれた。

GW明けから自転車通勤も再開するつもり。
ゆっくりと、確実に進んでいきたい。

そうそうこいつともお別れ。ありがとう。

さよなら相棒

2019年5月3日金曜日

ダーイシ練 2019 1300kJ

[天気]晴れ
[気温]暑い
[風]西から強い
[体重]60kg
[アクティビティ]高畠ワイナリースプリングフェスタ 1300kJ(70km)

ここ三年ばかり恒例となったダーイシ練 with 死屍累々。
今年も行ってまいりました。骨折の関係で参加が危ぶまれたのですが、リハビリ部隊別メニューにて楽しむことができました。

自転車はやっぱいいなぁ

田中屋のあんびんも無事ゲット。9:30がボーダーラインの模様。
うまい


70km強走って、かんぱーい。
このときはまだ…


途中謎のかばん紛失老人などと戯れる。
今年はビリー・バンバンがゲストで、どうかな?と思っていたけど、これまた盛り上がりました。やっぱりプロってすごいなぁ。

で、
ほんの一部です

今年は気候がよく例年よりもお酒が進んだようで。
いたるところで幽体離脱が。

死屍累々

就職おめでとう!

のべ4名ほどタガが外れた模様です。
現場からは以上です。

2019年5月1日水曜日

帰還 690kJ

[天気]小雨のち曇り時々晴れ
[気温]下19℃
[風]0
[体重]60kg
[アクティビティ]泉ヶ岳
[メニュー1]20min 195W 169bpm 69rpm

退院後の経過
体重が60kgを切って筋肉が根こそぎなくなったことを知る。

4/2
通院。

4/9
松葉杖が外れるより前にローラーに乗ってみた。
平均63Wという数字が残っている。
数字云々よりも右足付け根の違和感がひどく怖かった。
その後も調子がいいときに何回かローラー。
右足のクリートを外すことがなかなかできなかった。これができないと外乗りは到底出来ない。

4/13
車検の車を取りにいく名目で通勤車で15分ほどスニーカーで漕いでみた。
とてもとても気持ちがよく羽が生えたようだった。右足の動きが変だったが。

4/16
通院及びリハビリ。リハビリは入院中のメニューをやるだけなので効果があるのか疑問。ただ自分の状態と何をやっていいかを訊くためにいく。
この日で松葉杖を外して自力歩行開始。わりと疲れるしはたから見ると健常者なので世間が急に冷たく感じる。これが普通なんだけど。

骨がくっつくまでは大腿骨だと12週間かかるらしい。と考えると5月一杯ということになる。
それまでは絶対に転倒してはならない。

そして本日、一応自分の計画通りロードバイクで実走をしてみた。
朝は雨が降っていたので、昼頃に路面が乾いてから出陣。

走り始める前はすこし怖かった。目を閉じて乗ってる自分を想像するとすぐに転けるイメージしかわかない。
路上は戦場だし、自分が自転車の勘を取り戻すまで時間がかかると思っていた。
だが走り始めてみるとスーッとその世界に入っていけた。
クリートのキャッチがなかなかできなかったが、考えてみるとこれは以前からだ。問題ない。

朝練のコースを走る。
サドルが高く、前傾姿勢がきついと感じた。
表示されるワット数が心拍数と見間違えるような数字だった。

右足に違和感はある。だがあまり気にならなかった。

あっという間に泉ヶ岳の麓についた。
上れたら上ろうかな程度の予定だったが、ついたときには何も考えずに上り始めていた。

骨折したとき着ていたジャージを着てきたのでずいぶん暑い。
一心不乱に上った。
ギヤが足りない。それがどうした、むしろ楽しいじゃないか。

汗と鼻水と何がしかで、ぐちゃぐちゃになってゴール。

自分はここに還ってきた。

2019年4月17日水曜日

骨折日記3ー退院(入院生活からシャバに出るまでと御礼)~2019/03/20(水)


○術後経過
術後の最初の週は何をやるにも時間がかかった。
ベッドから起きるのに5分、トイレ正味10分、ベッドに横になるのに5分。
つまりトイレの1ターンに20分を費やす。
手術の影響なのか頻尿で夜中に4~5回トイレに行くのでなかなかの重労働であった。
おそらく結構な出血もあったはずなので、基礎体力も落ちているようだ。

お風呂というかシャワーは火曜日と金曜日の2回。
入院してはじめてのお風呂は手術の一週間後の3/12(火)だった。実に10日ぶりのシャワー、くるおしいほどにお湯が気持ちよかった。

シャワーの次の日だったかに、松葉杖に移行。
両松葉は両手が塞がるので不便である。
2回めの風呂では全裸松葉杖という技を披露した。
2~3日後に看護師さんが片松葉でも大丈夫じゃね?と言ってくれて片松葉に。

振り返ると主治医やリハビリの先生はあまりスケジュールを明言しなくて(おそらく私の年齢の症例が少ないせいだと思う)、看護師さんのサジェストにより自分の現状と今後が見える、といった具合だった。

微熱が続いていることと、歩くと患部から「ゴリゴリ」という感触が伝わること、が気になる点だった。
どちらもちょっと怖い。

微熱は退院の前日まで続いた。
ゴリゴリは患部の腫れが引くに連れて鳴らなくなった。
おそらくどちらも腫れと因果関係があったのだろう。

4人部屋なのだけれども、結局最後までルームメイトはSさん一人。
Sさんは50代に見えるけども60代なかばで、面白い人だった。
なんというか、人生の楽しみ方を知っている人で、他の人に対してもサラッと(言いにくいことなど)も言ってしまえるような明るさがある人だった。
彼のことを書き出すといつまでも書き終わりそうもない。
とにかくご一緒できたのは人生におけるラッキーなことの一つだと思う。
彼は私に他人への甘え方を教えてくれた。

さて、入院生活で気になるのはやはり退院時期、というか社会復帰時期。
実は真面目な人間なので、仕事のことが気になって、この時期はよく眠れなかった。
毎日長くても10時間、短いときには9時間しか眠れなかった。

自分は趣味で仕事に穴を開けるということだけはしまい、と固く心に誓っていたのだが、誓いなどなんの役にも立たないことを認識した。

今回の骨折騒動を通して、一番勉強になったのは他人に迷惑をかけずに生きることはできないということ。
開き直っているわけではなく、どうしても人に甘えてしまう状況というのは必ずくるのだ。
例えば年をとったら?誰だって一人では生きていけなくなる。社会はそういうふうにできているのだ。
人に甘えることを極端に嫌ってはならない。今まで自分は極端に嫌っていたふしがある。
もちろん正当な理由があって、一方的でなければという大前提の上で。

あと311を病院で迎えることになるとは思わなかった。
くわえて、Sさん宅は多賀城で当然被災者だった。長く避難所で生活していた。
看護師さんや掃除の人も被災を経験した人が何人かいた。
改めて震災の大きさを感じた3月でもあった。

○退院
3/20(水)
入院生活になれてくると、これはこれでいいもので、食事や睡眠もまったく問題なく、退院のことを考えると逆に名残おしい気持ちをいだくようになった。
人に話しかけるときはできるだけ名前で話しかけたいので、我々を担当してくれるグループの看護師さんの名前は全員覚えた。

3/14に看護師のKさんに社会復帰を早くしたいと相談したら、その日のうちに先生が来て「病棟で17日退院だとききましたが」と。
Kさんは影の実力者かなにかなのか。
先に退院日がきまっていた、Sさんよりも2日はやく退院することになった。

受傷後、初めて外に出る日が退院日になった。
翌日が祝日なので、すこし家のことをやって、すぐに職場に復帰することにした。
シャバでの松葉杖生活は大変だろうけど、これまでのことを考えたら大した問題ではない。

退院日は母にたくさん荷物をもってもらった。
これまでの人生であんまり記憶に無いのだが、母にお礼を言った。

家に帰ると、家の作りの厳しさに驚いた。介護ベッドにどれだけ助けられていたか気づいた。
トイレの便座も低く座るのに難儀したし、風呂桶に至ってはそびえ立つ壁のように感じだ。
道路にかんしても、体の一部が機能していないと少しの段差も命取りになるということがわかった。
身障者のかたがたはこんなにも厳しい生活をしているのか。

ここからは御礼。
厚く厚く御礼申し上げます。

加美警察署のみなさま
大崎市民病院のみなさま
泉整形外科病院のみなさま
ツイートではげましてくれたみなさまとくに、大腿骨骨折を経験なさっているICHYさん、よっしーさんの言葉(とブログ)は私に光を与えてくれました。

それからすてきな退院祝をくださった、β-endorphinのみなさま

そして、かっちゃん。

人は誰かに頼って、そして頼られて生きている。
人と言う字は(略

私の方からは以上です。

すてきな退院祝い(8万円也)

ここにいる人の事務員以外全員にちんちんさえも見られました

2019年4月15日月曜日

骨折日記2ー手術(基本的人権を取り戻すまでの戦い) 2019/03/02(土)~

基本的人権は衣食住と言われている。
否、衣食住排(泄)である、とここに宣言したい。

○転院
3/4(月)
病室は6人部屋(ストレッチャーで上を向いての入室・退室だったので間取り等不明なまま)で常にカーテンがひかれているし、自分は上を向いていることしかできないので、他の入院患者の声だけが聞こえる。
みなさん、寝たきり仲間のようだ。

転院先が決まらない為、当然手術日も決まらない。この2日間が精神的に一番きつかった。
排泄との戦い。尿瓶、差し込み便座(という存在を貴兄は知っているか?)
ベッドの上での排泄は精神的にも肉体的にも非常に困難である。
これから超高齢化社会がやってくる。この問題、なんとかならないのものだろうか。

開けて月曜日、転院先が決まった。
自分の場合、ストレッチャーで移動しなければならないので、介護タクシーというものを手配することになる。
なんとなく公共のサービスのような響きだが、民間のタクシー会社が提供するサービスである。
完全予約制なのでジャスト・イン・タイムで手配しなくては転院できない。
転院元病院、転院先病院、付添の家族に調整をしていただきなんとか3/5(月)中に移動できることになった。

介護タクシーのつくりは先日はじめて乗った救急車とほぼ同じだった。もちろん医療機器等は違うが。

転院先は家の比較的近くの整形外科専門病院。

まず外来扱いで診察を受けるという儀式が必要。ストレッチャーに乗せらてた状態で待つ。
外来病棟はここ何日かの入院生活とはうってかわって、ガヤガヤしていて気が滅入った。
診察を受けると、先生から「退院まで最低1月」と言われて、非常に落ち込んだ。
自分は2週間くらいかなと思っていた。
手術は明日(3/5火)していただくということで、安心した。とにかく手術をしないと何も始まらない。

入院病棟に入ると、外来とはうってかわって静かで落ち着いていた。
古いけど前の病院より一人あたりの面積が広い。

ここでも排泄問題が心に影をおとす。前の病院ではみんな寝たきりなのでお互い様だったが、この病室の他の2人は自分でトイレに行ける方々だったので、排泄に対する考え方がが違う(はず)。
明日までだからがまんすることにした。
が、尿は難しい。というか尿を出さないとかなり体にわるいらしい。
もうギブアップして、カテーテルを入れてもらった。精神的に一番きつい夜だったが、看護師さんに助けてもらいなんとか夜が明けた。
看護師さんが女神に見えた。白衣の天使とはよくいったものである。あやうくプロポーズするところだった。

○手術
3/5(火)
手術は午後3時。待っているの時間がとても・とても長かった。
母親に手術の間一人で待ってもらうのはとても心苦しかった。親不孝ものである。

ベッドのまま手術室の入り口まで運ばれる途中、「目を閉じててください」と言われる。
ライトが眩しいらしい。目を閉じているととても不安になる。
手術室のゲート(宇宙戦みたい)でストレッチャーに乗り換え。
中に入って手術室を眺める。こ、怖い。
なんか無機質でだだっ広くて。理科室の広い版ながらなんか資材とかが壁際に並べてあって。
「一体俺をどうするつもりなんだ!」と思ってしまった。骨をくっつけてもらうんだった。
そんなこんなしてたら、突然に麻酔の先生が「いま麻酔を入れました」と言った。おお、もうはじまったのか。

主治医の先生が「もけけさん、それでは…」。
あまり言葉は聞こえなかった。
なぜかと言うと首にフリースの前掛けをかけていらして、気を取られてしまったので。縁起物かなんかなのだろうか。

「麻酔が効いてきましたか?ぐるぐるしてきたら効いてきたということです」と話しかけられるも、よくわからない。
なんか確かにボワンとしてきた感じがある。
実は手術に対する不安は全身麻酔のみだった。
あとのことは先生を信じるしかないので。
麻酔に対する不安とは具体的には「効かなかったらどうしよう。効かないまま手術されたら嫌だな」ということ。
そんなこと絶対に無いんだけど、その疑念が最後まで拭えなかった。変なとこが心配性な自分が嫌い。

そして、視力も聴力もまだあるうちに、手術台に移動される。
「おいおい、まだ効いてないよ」と手をあげようとしたが、体は動かせない。金縛りのような感じ。
ただ、手術台に乗せられた瞬間脚が痛くなかったので、ああ効いてるんだなぁと思った次の瞬間「もけけさん、おわりましたよ」と驚きの報。

私の骨折は転子部ということで、γ(ガンマ)ネイルという術法になった。
血流がいい場所なので、壊死する確率は低いらしい。
頸部のほうが比較的厄介らしい。
大腿骨骨折に関して詳しくは、こちら

γネイルはボルトで固定する術法。写真を見せられて驚いたんだけど、ボルトと言ってもすごく太い。
骨髄の中に一本柱を通して(髄内釘ずいないていと言う)それに向かって外から締め上げる感じか。
ほとんど大工仕事だなぁ。

自分の体にこんなものが埋め込まれるとは思いもしなかった。
骨の真ん中(骨髄)が空洞なのも初めて知った。はじめは穴を縦に開けたのかと思ったけど違かった。

髄内釘は抜くことは無いらしい。ボルトが外れて飛び出してきたら抜くこともあるらしい。こ、怖い。

前から。ふ、太い
横から。なんじゃこれ

もけけ庵ずいない亭の誕生である。

しかし医療ってすごいな。

○3/6(水)
麻酔が切れると激痛が俺を襲う!とほうぼうから言われていたのだがそれほどでもなかった。念の為押すと点滴にプシュと放出される麻酔薬は絶え間なく使っていたが。
あと術後便意がなくなっていたのだが…、まさか。

術後、全身麻酔から内臓が動くまでは食事をしてはいけないらしく、消灯時間の21:00を過ぎてから、コンビニのおにぎりを食べた。
これが死ぬほど美味しくて泣けた。

夜は何度か起きたけど、特に眠れないということではなく、平均的な夜だった。
朝一番で、体洗い部隊がやってきてできる範囲で綺麗にしてもらった。

不特定多数の方にちんちんを晒すことによって、なんとかここまで来た。

そして、普通のパンツを履かせてもらった…。う、うれしい。
ところでオムツって独特の匂いがあることを知った。メーカーにもよるのかな。
悪い匂いではないんだけど、今はもう嗅ぎたくない。

レントゲンを撮るということで、車椅子が用意された。
が、手術したほうの脚がまったくもってストライキ。こんなにも動かないものか…。
脳(無意識)が俺をコントロールしているのだ。

膝を曲げるのも突っ張ってできない。やたら太いし。
車椅子は脚を曲げるのがつらいので、すっとばして歩行器を使いたいと、看護師さんに相談した。

午後になってリハビリの先生が来た。マッサージをしてもらうとすごく楽になった。
魔法のようだった。

そして歩行器を用意してもらって、ゆっくり歩いてみる。あ、歩ける。
ぐるっと病棟を一周する。看護師さんやたまたま居た主治医が驚いていたが、自分には強い意志の力があった。
なんとしても自力でトイレに行かなきゃなんに、という強い意志が。

翌日カテーテルをとってもらい(つけたままでもトイレはできると看護師さんは言うが無理だった)ついに5日ぶりに自力でトイレに行った。
これほど「自由」を感じたことは、人生でもそうそうない。

自由は不自由の側面にあって見えづらい。